<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rdf:RDF
 xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
 xmlns="http://purl.org/rss/1.0/"
 xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
 xmlns:taxo="http://purl.org/rss/1.0/modules/taxonomy/"
 xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
 xmlns:syn="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
 xmlns:admin="http://webns.net/mvcb/"
 xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
>
<channel rdf:about="http://sachihoinny.dreamlog.jp/">
<title>drecom_sachihoinnyのブログ</title>
<link>http://sachihoinny.dreamlog.jp/</link>
<description>
</description>
<dc:language>ja</dc:language>
<admin:generatorAgent rdf:resource="http://blog.livedoor.com/?v=2.0" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<items>
 <rdf:Seq>
  <rdf:li rdf:resource="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216476.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216460.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216444.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216312.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216292.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216286.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216280.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216265.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216261.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216247.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216240.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216234.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216229.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216224.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216220.html" />
 </rdf:Seq>
</items>
</channel>
<item rdf:about="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216476.html">
<title>クリスマス</title>
<link>http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216476.html</link>
<description>2ヶ月ぶりの更新になります。
特に更新していない理由は特にないんだけど、とりあえず最近全然更新していませんでした。クリスマスの今日の日を選んで久々に更新することにします。

さて今日は12月25日。クリスマスです。その12月25日は何の日かというと、イエス・キリスト...</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2006-12-25T21:44:12+09:00</dc:date>
<dc:subject>徒然</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[2ヶ月ぶりの更新になります。<br>
特に更新していない理由は特にないんだけど、とりあえず最近全然更新していませんでした。クリスマスの今日の日を選んで久々に更新することにします。<br>
<br>
さて今日は12月25日。クリスマスです。その12月25日は何の日かというと、イエス・キリストが生まれたとされる日です。この事実、皆知っているのかも知れないけれど結構忘れていると思うので一応書いておきます。<br>
ちなみにイエス・キリストはヨルダン川西岸のパレスチナ自治区にある<span style="font-weight: bold;">ベツレヘム</span>で生まれたのだとキリスト教徒たちは信じています。それが理由でベツレヘムにはクリスマスに世界中から観光客が訪れます。<br>
<br>
イエス・キリストが生まれたこの日に日本人がとる行動を客観的に見てみると大分不思議な感じがしてしまいます。<br>
<br>
まぁブツブツ言ってもしょうがない。<br>
とりあえず、皆さん<span style="font-size: 125%;"><span style="font-weight: bold;"><span style="color:#ff0000;"><span style="color:#009966;">Merry</span> Christmas!!</span></span></span>
<!-- BASENAME=http://sachihoinny.blog.drecom.jp/archive/176 -->
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=3753417&name=drecom_sachihoinny&pid=1216476" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216460.html">
<title>なんとなく矛盾</title>
<link>http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216460.html</link>
<description>最近更新頻度が落ちてきました。
10日ぶりの更新になります。

前からブログに書こうと思っていた事でもあるし、先日飲みの席でも僕が話題に上げたトピック。

先日ちょっと喫茶店に座っていた時、隣の席に二人の女性が座っていた。
「あの○○って人、挨拶もまともに出来な...</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2006-10-22T22:22:58+09:00</dc:date>
<dc:subject>徒然</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[最近更新頻度が落ちてきました。<br>
10日ぶりの更新になります。<br>
<br>
前からブログに書こうと思っていた事でもあるし、先日飲みの席でも僕が話題に上げたトピック。<br>
<br>
先日ちょっと喫茶店に座っていた時、隣の席に二人の女性が座っていた。<br>
「あの○○って人、挨拶もまともに出来なくてすごく嫌な感じ！！」<br>
これって日本語でよく使われる表現だ。日本語では他にも「××高校の～～選手は挨拶もしっかり出来て素晴らしい。」みたいな表現もよく耳にする。<br>
<br>
上記の挨拶に関する言葉は、すごくよく分かるし、挨拶が大事なのはもう否定のしようがない。<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">しかし、しかしだ。</span><br>
<br>
日本人ってそもそもあまり他人に対する挨拶があまり好きじゃない。だから、近所や道端で見知らぬ人に微笑みかけることは全く重要じゃないし、日本ではむしろそんな事をするべきではない。<br>
<br>
アメリカ人や南米人などから見ると、日本人はコミュニケーションが下手に思えるらしい。見知らぬ人との道端でのコミュニケーション、バスの運ちゃんとのおしゃべり、スーパーの店員との会話・・・・そういうものが日本には全くと言っていいほどないからだ。<br>
<br>
そんな風に、挨拶をあまりしない民族なのに「挨拶」という話題がやたら取り上げられる事と、それが出来るか出来ないかというという理由から人を持ち上げたり否定したりしようとするのってなんだか矛盾だなぁと少し思った。<br>
<br>
日本と違って西洋の人々は概して挨拶が好きだと思う。ハローとかの挨拶や、他人に対する微笑とかそういう類の挨拶って、西洋社会の方が圧倒的に多いのだ。<br>
<br>
そんな風に、日本人よりも挨拶が好きな西洋の人々。しかしながら「彼はきちんと挨拶の出来る人間だ」なんて表現をアメリカ人が使うことなんて皆無だ。そんな事を誰かに言ったとしても、それを聞いたアメリカ人は「？？？」という反応しか出来ないと思う。<br>
<br>
挨拶はあまりしないのに、挨拶のことをよく話題に上げる日本人。そして挨拶が好きで必要以上に他人に向かって挨拶をするのに、挨拶が出来るとか出来ないとかそういう話題に関してあまり喋らない西洋人。<br>
これってちょっと不思議な矛盾だと思った。<br>
<br>
思うに、日本における「挨拶」という言葉の意味は単に「礼儀正しさ」であると思う。誰にでも陽気に挨拶をする人間は、日本において「挨拶」のできる人間とは思われないのだ。<br>
<br>
なんだかいろいろとぼやいていますが結論を言ってしまうと、礼儀正しい挨拶も笑顔を振りまくような挨拶も、両方出来るのが個人的に言ってしまえば理想だと思います。
<!-- BASENAME=http://sachihoinny.blog.drecom.jp/archive/174 -->
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=3753417&name=drecom_sachihoinny&pid=1216460" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216444.html">
<title>1978アルゼンチン―Dirty Warと共に</title>
<link>http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216444.html</link>
<description>1978年ワールドカップアルゼンチン大会





写真　アルゼンチンの名物とも言える美しい紙吹雪がスタジアムで舞う・・・。改めて見ると本当にすごい紙吹雪だ。

写真を見ても分かるとおり、スタジアムの観客はまさに熱狂。そして大会は、開催国アルゼンチンの優勝で幕を閉じ...</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2006-10-12T21:01:34+09:00</dc:date>
<dc:subject>ラテンアメリカ</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#00ffff;">1978年ワールドカップアルゼンチン大会</span></span><br>
<br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/7/c/7c27576d.jpg" class="photo" alt="20041109224828.jpg" border="0"></div><br>
<br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/8/7/87835c8f.jpg" class="photo" alt="68083754.jpg" border="0"></div><br>
<br>
写真　<span style="font-weight: bold;">アルゼンチンの名物とも言える美しい紙吹雪がスタジアムで舞う・・・。改めて見ると本当にすごい紙吹雪だ。</span><br>
<br>
写真を見ても分かるとおり、スタジアムの観客はまさに熱狂。そして大会は、開催国アルゼンチンの優勝で幕を閉じ、形の上では成功した大会となった。<br>
<br>
しかしアルゼンチン優勝までの軌跡を見てみると、かなり怪しいものがたくさんある。この大会には16カ国が参加。4カ国ずつ4グループに分かれ、グループリーグ上位2チームの合計8チームが二次リーグに進出。<br>
二次リーグで8チームをさらに2グループに分け、それぞれのグループの一位が決勝戦を戦い、二位のチームが3位決定戦を戦うというシステムだった。<br>
（詳しい組み合わせなどはWikipediaの<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/1978_FIFA%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97" target="_blank">このサイト</a>を参照。）<br>
<br>
二次リーグでブラジルとアルゼンチンは同じ組（グループ2）に入る。2試合終わった時点でブラジルとアルゼンチン両チームとも1勝1分。<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">そして迎えた3試合目。</span>今だったら同時刻に開催される2試合だがこの時は、ブラジルの試合が終わった後にアルゼンチンの試合が組み込まれていた。アルゼンチンにとって重要な試合なだけにこういう組み合わせになった。<br>
<br>
その二次リーグの3試合目、ブラジルはポーランドを3対1で一蹴する。その結果、アルゼンチンはペルー戦で4点差以上をつけて勝たないと決勝進出が出来ないという事になった。この時のペルーは結構いいチームだったのだが、アルゼンチンはそのペルーを6対0で一蹴。この時のペルー代表のGKのキロガという選手はアルゼンチン生まれだったりした事もあり、この結果に今でも怒っているブラジル人は結構いるらしい。この大会の頃のブラジルのスター選手だった<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8E" target="_blank">リベリーノ</a>は、今でも怒っているらしい。<br>
_＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿<br>
<br>
1976年3月、アルゼンチンのペロン政権<span style="font-weight: bold;">（当時の大統領はイザベル・ペロン大統領。有名なフアン・ドミンゴ・ペロン元大統領の３番目の夫人）</span>は軍事政権のクーデターによって倒される。そして、ホルヘ・ラファエル・ビデラ将軍が軍事評議会議長（事実上の大統領）に就任。8月には正式に大統領へと就任する。<br>
<br>
ビデラは1976年3月の就任演説において、産業評議会（ＣＧＥ）、労働評議会（ＣＧＴ）への軍の介入、そしてスト権の停止を布告。さらに革命的共産党，労働社会党など五つの極左政党を禁止した。そして同年7月、ついに左翼絶滅作戦の展開が始まる。ここからアルゼンチンのいわゆるDirty Warが始まる。アルゼンチン政府の弾圧の度合いは本当にひどいものだった。1976年から83年までの間に、アルゼンチン国内の死者・行方不明者は3万人を越えると言われている。3万人のうちのほとんどが1976年から79年の間に行方不明となっている。そして1978年にワールドカップが開催されている。<br>
<br>
この頃のアルゼンチンは、内戦状態にあったわけではない。<span style="font-weight: bold;">アルゼンチンで起こったことは内戦ではなく、国の政府による国家テロだ。</span>自国の人間を何万人も連れ去り殺していたような国でワールドカップが開かれたのだ。<br>
<br>
ヨーロッパなどから人権侵害国家として悪いイメージが定着しつつあったアルゼンチンにおいてワールドカップの成功はイメージ回復のためにも、軍事政権の至上命題だった。アルゼンチン政府はこの大会の成功のために全力を挙げた。結果、マリオ・ケンペスやオズワルド・アルディレスなどの活躍によりアルゼンチンが優勝。人権侵害の甚だしい政府のもとで開かれたこの大会は形の上で成功を収めた。<br>
<br>
1978年のワールドカップが開かれたとき、左派勢力はこの大会を通じてアルゼンチン政府の愚行を世界に気付いてもらおうとした。しかし、そのアピール行動も風前の灯火。アルゼンチンの人権弾圧政権はこの後、さらに5年間続く事になる。<br>
<br>
<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Night_of_the_Pencils" target="_blank">Night of the Pencils（Noche de los Lapices)</a>という映画があって、この映画はこの時代のアルゼンチンを舞台として描かれている。この時代のアルゼンチン情勢を理解する上で非常にいい映画だと思う。<br>
<br>
――――――――――――――――――――<br>
<br>
1978年大会、決勝はアルゼンチン対オランダ。<br>
<br>
ホスト国アルゼンチンが前回大会準優勝のオランダを迎え撃つという戦いになった。オランダは、クライフがビデラ軍事政権に対する抗議のため大会参加を拒否。（実のところは、１９７４年のワールドカップ決勝で敗れたクライフはもう二度と決勝での負けを味わいたくなかったらしいという説もある。）何はともあれ、このときのクライフは、女王陛下からの出場嘆願も振り切ったという有名な話まである。<br>
<br>
大会前からアルゼンチンの軍事態勢に批判の意を表明していたオランダ。<br>
決勝での対決に注目が集まった。<br>
<br>
宿泊ホテルの電話が深夜まで鳴り止まないなどの、オランダに対しての嫌がらせによる妨害が行われたという説もある。さらに、アルゼンチン選手団はなんと決勝の開始予定時刻に堂々と遅刻をした。オランダの選手はフィールドの上で何十分と待ちぼうけを食った。<br>
<br>
こんな妨害行為などにもめげずにオランダはアルゼンチンにくらいつく。ケンペスの先制ゴールを奪われるものの、終了間際にヘディングで同点に追いつく。延長で力尽きたものの、ホスト国相手に堂々わたりあった戦いだったといわれている。チャンスがあれば一度ビデオか何かでこの試合を見てみたいと思う。
<!-- BASENAME=http://sachihoinny.blog.drecom.jp/archive/173 -->
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=3753417&name=drecom_sachihoinny&pid=1216444" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216312.html">
<title>ラテンアメリカ　オリンピックと平和</title>
<link>http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216312.html</link>
<description>今日は、体育の日なのでオリンピックなどについて。

皆さんの中で「オリンピック」の定義は何ですか？
「スポーツの祭典」
「平和の祭典」
「国威発揚のためのイベント」
などなどいろいろな意見がある事だと思う。

そして皆さんの中でのサッカーのワールドカップの定義と...</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2006-10-09T09:23:47+09:00</dc:date>
<dc:subject>ラテンアメリカ</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[今日は、体育の日なのでオリンピックなどについて。<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">皆さんの中で「オリンピック」の定義は何ですか？</span><br>
「スポーツの祭典」<br>
「平和の祭典」<br>
「国威発揚のためのイベント」<br>
などなどいろいろな意見がある事だと思う。<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">そして皆さんの中でのサッカーのワールドカップの定義とは何でしょう？</span><br>
「オリンピックを上回る規模の大会」<br>
「世界中が熱狂する大会」<br>
などなど、これもまたいろんな意見があると思う。<br>
<br>
オリンピックやワールドカップなどの見方や定義の仕方は人それぞれだろうけれど、我々の認識としてある程度共通しているものは、「オリンピックやワールドカップと言った大規模なイベントは、紛争などのない平和な地域で行われるもの」というアイディアがあるのではないでしょうか。<br>
<br>
しかし、これらの大会が全く平和じゃない地域で開かれたという事だって、実は結構あるのだ。多少の政治的・経済的混乱のある国とかではない。それこそ内戦、暴動、抑圧、虐待などによって人がバッタバッタと死んでいっているその真っ只中でオリンピックが開かれたりした歴史が1960年以降にだってあるのだ。<br>
<br>
さてここで問題。それはどこの国で開かれた大会でしょう？<br>
<br>
答えは・・・<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="font-size: 125%;">1968年　メキシコオリンピック<br>
1978年　ワールドカップアルゼンチン大会</span></span><br>
<br>
この二つだ。<br>
では具体的にメキシコで、そしてアルゼンチンではどんな出来事があったのだろうか。今回はそのことについて。<br>
長くなるので、今回はメキシコオリンピックに関して書いて、次回はワールドカップアルゼンチン大会について書きます。<br>
<br>
(オリンピック史上最大の悲劇とも言われるあまりにも有名な<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BA%8B%E4%BB%B6" target="_blank">１９７２年のミュンヘンオリンピック事件</a>については、大会期間中に起こったテロであり、「元々平和でない国で開かれたオリンピック」という今回の記事の趣旨に合わないので、今回は割愛します。リンクと映画<a href="http://www.imdb.com/title/tt0408306/" target="_blank">『ミュンヘン』</a>などを参照されたい。）<br>
<br>
<br>
<span style="color:#ff0000;"><span style="font-weight: bold;">まずは1968年メキシコ。</span></span><br>
<br>
10月12日に開幕するメキシコ五輪に先立ち、10月2日にメキシコ市のトラテロルコ地区にある三文化広場（La Plaza de las Tres Culturas)で事件が起こる。アステカ時代に市場として栄えたこの場所での事件はあまりにも凄惨なものだった。<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#ff0000;">いわゆるトラテロルコ事件だ。</span></span><br>
<br>
簡単に言ってしまえば、ここで開かれていたきわめて平和的な学生集会を、軍が襲撃したのだ。当局の発表では犠牲者の数は30人未満だったが、本当は500人ほどが死んだのではないかと言われている。<br>
（この事件につながるまでのメキシコの歴史などを語りだすとキリがないので今回はそれは割愛させていただくことにする。）<br>
<br>
トラテロルコの夜という本に詳しい記述が書いてある。序文は、1990年にノーベル文学賞を受賞したオクタビオ・パス（Octavio Paz)によって書かれている。<br>
<br>
<img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/a/f/af7711a7.jpg" class="photo" alt="4894344726.01.jpg" border="0"></div><br>
<br>
また、この本のバックカバーにあるオクタビオ・パスの言葉を引用する。<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">1968年の学生運動と、それを突如として終わらせた、政府による凄惨な弾圧――トラテロルコ事件――は、メキシコの人々を深く動揺させた。その結果生じた政治的、社会的、倫理的危機はいまだに解かれてはいない。</span>（注：これは今から10年以上前に書かれた文章であることを付記しておく）<br>
<br>
オクタビオ・パスの見解などは藤原書店の<a href="http://www.fujiwara-shoten.co.jp/book/book572.htm" target="_blank">このページ</a>に結構詳しく書かれている。<br>
<br>
38年も前に起きたこの事件のことで今のメキシコ政府を非難するつもりなどまったくないし、IOCのオリンピック開催地の選考過程などにケチをつける気も全然ない。だけど、オリンピックの直前にこんな事件があったということは知っておいてもいい事実だと思うのだ。<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#0000ff;">オリンピック開幕のたった10日前にこんな事件が起こっているのだ。</span></span>自国民をバタバタ殺すような政府のもとでオリンピックが開かれたというこの事実は、日本ではあまり知られていない事だが、決して知っておいて損はないと思う。<br>
<br>
「トラテロルコの夜」の中からいくつか印象的なものを引用してみる。<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">残忍、野卑、憎悪、ありとあらゆる悪意に満ちた行動に支配されてしまった、トラテロルコのあの夜。あのときの驚愕と憤怒を正しく記録にとどめておく必要がある。<br>
</span>フランシスコ・マルティネス＝デラベガ「我々の国はどこへ向かうのか」<br>
『エル・ディア』紙　1968年10月8日<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">オリンピックを開催できるようにと学生が殺されているのなら、オリンピックなど行われない方がましだ。どんなオリンピックも、歴代のオリンピックを合わせても、学生一人の命には値しないのだから。</span><br>
イタリア人陸上競技選手（第19回オリンピック大会イタリア代表選手メンバー）『オバシネス』紙、1968年10月3日<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">何もかも丹精こめて準備がなされた。巨額のお金が使われた。どんな細部も手抜きされることはなかった。各競技の入場券にも趣味のよさが光っている。案内板、パンフレットやプログラム、ポスター、エスコート役のスーツや広告、果ては風船に至るまでのでデザイン。各協議の実施時間の厳密さ、絶妙の運営組織、だからこそ残念でならないんです。第19回オリンピックが血に染まっていることが無念でなりません。</span><br>
ベアトリス・コジェ＝コルクエラ<br>
（グラフィック・アート専門家・図案デザイナー）<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">映像は人を欺けないと思います・・・・私はニュース報道も写真も見ました・・・・</span><br>
オクタビオ・パス<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">みんな死骸ですぜ・・・・</span><br>
『エル・ディア紙記者、ホセ=アントニオ・デルカンポに対する、ある兵士の呟き<br>
<br>
1964年の東京の次に開かれたメキシコオリンピック。<br>
日本では1968年のオリンピックと言えばサッカーでの銅メダル、マラソンの君原健二の銀メダル、加藤沢男などが体操ニッポンのちからを見せ付けた男子体操などが語り継がれている。<br>
<br>
その大会の直前にあったトラテロルコ事件。単なるウンチクとしてではなく、我々が知っておくべき事件の一つなのではないかと思う。
<!-- BASENAME=http://sachihoinny.blog.drecom.jp/archive/171 -->
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=3753417&name=drecom_sachihoinny&pid=1216312" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216292.html">
<title>Green Bay Packers</title>
<link>http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216292.html</link>
<description>火曜日の深夜、BS１でアメリカンフットボールの試合を見た。
カードはGreen Bay Packers対Philadelphia Eaglesの試合。全米が注目するModay Night Footballだ。フットボールの試合は普通日曜日に行われるが、一試合だけは月曜日の夜に行われる。それがMonday Night Football...</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2006-10-05T22:00:51+09:00</dc:date>
<dc:subject>スポーツ</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[火曜日の深夜、BS１でアメリカンフットボールの試合を見た。<br>
カードは<a href="http://www.packers.com/" target="_blank">Green Bay Packers</a>対<a href="http://www.philadelphiaeagles.com/default.jsp" target="_blank">Philadelphia Eagles</a>の試合。全米が注目するModay Night Footballだ。フットボールの試合は普通日曜日に行われるが、一試合だけは月曜日の夜に行われる。それがMonday Night Footballだ。<br>
<br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/3/1/31d50de6.jpg" class="photo" alt="3eea942a-d172-4129-b85f-d7713b385007.jpg" border="0"></div><br>
（Green Bay Packers running back Noah Herron (23) runs over Philadelphia Eagles safety Michael Lewis (32) in the second quarter of their football game Monday, Oct. 2, 2006, in Philadelphia.） (AP Photo/Rusty Kennedy)<br>
<br>
<br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/3/f/3fbf9809.jpg" class="photo" alt="capt.13c970c6e5d14337a48ad227391b9516.packers_eagles_football_pxs109.jpg" border="0"></div><br>
（Green Bay Packers tackle Corey Williams (99) misses a scrambling Philadelphia Eagles quarterback Donovan McNabb in the third quarter of their football game Monday, Oct. 2, 2006, in Philadelphia. McNabb ran for two touchdowns and threw for a pair, leading the Philadelphia Eagles to a 31-9 victory over the Green Bay Packers on Monday night.）<br>
<br>
フットボールは基本ルールしかわからないし、あまりエキサイティングなものとして見たことはない。そんな、めったにフットボールなんか見ない僕がなぜわざわざ深夜にこの試合を観戦したのかというと、パッカーズというチームが好きだから。加えて、日本でパッカーズの試合が放送されることなんぞ、年に一度あるかないかだから。<br>
<br>
アメリカに初めてわたったとき<a href="http://maps.google.com/maps?f=q&hl=en&q=Green++Bay&ie=UTF8&om=1&z=6&ll=44.559163,-88.022461&spn=6.857237,18.654785&iwloc=A" target="_blank">Green Bay</a>の隣にある<a href="http://maps.google.com/maps?f=q&hl=en&q=De+Pere+Wisconsin&ie=UTF8&om=1&z=5&ll=44.43378,-88.066406&spn=13.742716,37.30957&iwloc=A" target="_blank">De Pere</a>（ディピア）という小さな町で語学学校に２ヶ月ほどだけ通ったことがある。基本的に東京育ちの僕にとって、ウィスコンシン州のその町は果てしなくド田舎なところだった。ディピアに着いてすぐにグリーンベイ観光案内の小冊子を渡されたのだが、ドでかいスタジアムの写真を見て、「こんなスタジアムがここにあるなんて嘘に決まってる！」とY氏などとしゃべったりしたものだった。田舎にスタジアムがあるくらいならまだ信じられるのだけれど、スタジアムの創造なんぞまったくつかないくらい、物凄くのどかなところだけに本当に信じられなかった。<br>
（下の二枚がスタジアムの写真。上の写真は改築前。下は2003年に改築された後のもの。日本じゃ絶対にあり得ない、<span style="color:#006600;"><span style="font-weight: bold;">広大な駐車場</span></span></span>に注目！！）<br>
<br>
<br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/e/a/eaad24bc.jpg" class="photo" alt="fox_valley.jpg" border="0"></div><br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/0/2/027d23b4.jpg" class="photo" alt="aerial.jpg" border="0"></div><br>
<br>
さて、BS１の放送は英語にしたり日本語にしたりしながら見ていたのだけど、日本語で聞いているときに解説者がグリーンベイという町について語りだした。その解説者が何を言ったかというと・・・・・<br>
（以下、覚えている範囲で引用）<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">グリーンベイって言うのはねぇ、本当に片田舎ですよ。あの～青森の方には失礼なんですが、グリーンベイというのは本当に青森のはずれのような町なんですよ。いや、本当に青森の方には失礼なんですけれどね。パッカーズは昔から人気がありますけれどね。そんな片田舎のフットボールチームの人気を支えているのはやっぱりファーヴ（パッカーズの名クオーターバック）ですよ。</span><br>
<br>
僕がグリーンベイに滞在した期間は短かったけれど、グリーンベイに滞在中に僕はパッカーズが興味を持つようになった。僕のアメリカの生活が始まった小さな町。そんな町のシンボルであるパッカーズというチーム。熱狂的なファンというわけではないけれど、やはりテレビで見ると応援せずにはいられない。一度惚れた女に対するような感情でしょうか。<br>
<br>
僕が住んでいたボストンとニューヨークにもフットボールのチームはある。ボストンの近郊には２００２，２００４，２００５年のスーパーボールを制した<a href="http://www.patriots.com/" target="_blank">New England Patriots</a>というすばらしいチームがあったし、ニューヨークには<a href="http://www.newyorkjets.com/" target="_blank">New York Jets </a>と　<a href="http://www.giants.com/" target="_blank">New York Giants</a>というチームがある。<br>
この中でペイトリオッツは結構好きではあるけれど、やはり僕はパッカーズというチームの方が常に気になる。<br>
<br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/5/0/50882f51.jpg" class="photo" alt="020402_page1.jpg" border="0"></div><br>
<br>
（写真は、2002年2月にペイトリオッツがスーパーボールを<span style="color:#0000ff;">初めて制した次の日</span>の<a href="http://www.boston.com/news/globe/" target="_blank">Boston Globe</a>の一面。ペイトリオッツの本拠地のマサチューセッツ州で発行されている新聞だけあって、見出しも記事も歓喜に満ちた内容になっている。）<br>
<br>
そのパッカーズを代表する選手はなんと言ってもQB（クオーターバック）の<a href="http://www.brettfavre.com/" target="_blank">Brett Favre</a>（ブレット・ファーヴ）だ。ここまでに２２５試合連続先発出場。年間１６試合しかない上、に常に怪我が付きまとうフットボールというスポーツにおいてのこの記録はまさに驚異的だ。Jリーグや世界のプロサッカーリーグでも毎年全試合出場を重ねる選手などの話は聞いたことがない。１５年にわたって連続試合先発出場記録を重ねるファーヴの記録は、MLBのCal Ripken の２６３２試合連続出場（足掛け１７年）、日本のプロ野球の衣笠祥雄の２２１５試合連続出場（足掛け１８年）などを超えるレベルの記録といってもいいのではないかと思う。<br>
このファーヴという選手は、アメリカのスポーツ界において生きる伝説の一人なのだ。<br>
<br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/e/1/e15d31a2.jpg" class="photo" alt="brett_favre_multix2_jpg.jpg" border="0"></div><br>
<br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/4/9/49aa2123.jpg" class="photo" alt="img20061005.jpg" border="0"></div><br>
<br>
<span style="color:#006633;"><span style="font-weight: bold;">そんなファーヴを要する、グリーンベイパッカーズというチーム。<br>
興味をもたれた方はぜひ応援しましょう。<br>
そしてすでにファンの方は末永くファンでいましょう。</span></span>
<!-- BASENAME=http://sachihoinny.blog.drecom.jp/archive/172 -->
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=3753417&name=drecom_sachihoinny&pid=1216292" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216286.html">
<title>スペイン語入門</title>
<link>http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216286.html</link>
<description>たまにはスペイン語についてなど。

スペイン語は英語よりも覚えるべき基本事項が多いと思う。
基本単語にも微妙な違いが存在したりしていてそこが煩わしくもあり面白くもある。今日はその基本単語について。

Amigo（アミーゴ）とAmiga（アミーガ）　

両方とも英語で言えば...</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2006-10-02T21:09:41+09:00</dc:date>
<dc:subject>語学</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[たまにはスペイン語についてなど。<br>
<br>
スペイン語は英語よりも覚えるべき基本事項が多いと思う。<br>
基本単語にも微妙な違いが存在したりしていてそこが煩わしくもあり面白くもある。今日はその基本単語について。<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#0000ff;">Amigo（アミーゴ）</span>と<span style="color:#ff0000;">Amiga（アミーガ）</span>　</span><br>
<br>
両方とも英語で言えばFriend.　しかし前者のAmigoは男友達でありAmigaは女友達。日本語で「友達と出かけてくるよ」と言ったときにスペイン語ではその時点でその友達が男なのか女なのかはっきりしている。恋人に友達と出かけてくるといわれてそれが男なのか女なのか気になるけれども聞く勇気がないあなたにとってスペイン語はとても便利な言語です。<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#cc0000;">Saber（サベール）とConocer（コノセール）</span>という二つの動詞</span><br>
<br>
英語に訳してしまうと両方ともKnow（知っている）という意味になる。だけどこの二つの単語はスペイン語において決して同義語じゃない。<br>
<br>
saberは知識として知っているときのKnowである。<br>
Do you know where the station is?（駅はどこか知っていますか？）<br>
I know that he is the President's son.(彼は大統領の息子だと言うことを私は知っている。）<br>
<br>
conocerは「（人や場所などに）なじみがあって知っている。」<br>
I know Emilio.(エミリオのことを知っているよ。）<br>
<br>
さらにこの動詞の後にたとえばTokioという地名をつける。<br>
英語に直訳してしまえば<br>
I know Tokyo.（東京を知っている）となってしまうけれどそれは翻って「東京に行ったことがある」という意味にﾈる。<br>
<br>
初めてこの単語を習ったときに、Conocerというのは「肉体的に知っているという意味です」と教えられたので僕は<span style="font-weight: bold;">「スペイン語というのはその人と肉体関係があるかないかまで動詞一つではっきりさせるのだなぁ<img src="http://parts.blog.livedoor.jp/img/emoji/drecom/01.gif" alt="笑い" border="0">　なんて便利な言語なんだろう<img src="http://parts.blog.livedoor.jp/img/emoji/drecom/07.gif" alt="ウインク" border="0">」*</span>　と本気で考えたことがある。<br>
肉体的に知っているというのはある意味間違った説明ではないけれど、要するにその人や場所になじみがあって知っているということだと気づいたのはしばらく後になってからでした。<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#009900;">Ser（セール）とEstar（エスタール）</span></span><span style="font-weight: bold;">という二つの動詞</span><br>
<br>
英語に訳すのなら二つともBe動詞。「AはBです。」という言い回しをこの二つの動詞によってすることが出来る。だけどこの二つの動詞にも決定的な違いがある。<br>
<br>
Serという動詞は「AはBです」という言い回しをする時、Bが名詞である場合に使う。またBが形容詞であった場合でもAの元来の特徴や性質を現すときに使う動詞。たとえば<br>
Mike is a professor.<br>
Mike is smart.<br>
His school is big.<br>
という感じ。<br>
<br>
それにたいしてEstarはBがAの状態であるときにだけ使われる。<br>
Hi is tired.<br>
That store is closed.<br>
<br>
英語で言えば全部 is　なのだけれどスペイン語にはちゃんと使い分けがある。<br>
<br>
さらに日本語で「AはBです。」といったときの「です」という部分は英語にもスペイン語にも見当たらない。「です」というのは他の多くの言語に翻訳不可能なのだ。<br>
<br>
こういう事を勉強したりすると、言語というものの持つ無限の可能性に驚嘆せずにはいられなくなってくる。ことばってやっぱり面白いと思う。<br>
<br>
*印をつけたところ（肉体的にどうこうという話）は冗談です。本気でそんなことを考えたりはしませんでした。でもそんなことを想像したのは事実です。
<!-- BASENAME=http://sachihoinny.blog.drecom.jp/archive/170 -->
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=3753417&name=drecom_sachihoinny&pid=1216286" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216280.html">
<title>アクセス解析</title>
<link>http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216280.html</link>
<description>久々にちと更新をサボってしまって前回から10日も間が開いてしまいました。
9月中に一度は更新しようと思ってたんだけど。
とりあえず、今回はこのブログのアクセス解析に関して。

ほとんどのブログサービスについている機能の一つとして「アクセス解析」というのがある。よ...</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2006-10-01T20:11:06+09:00</dc:date>
<dc:subject>徒然</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[久々にちと更新をサボってしまって前回から10日も間が開いてしまいました。<br>
9月中に一度は更新しようと思ってたんだけど。<br>
とりあえず、今回はこのブログのアクセス解析に関して。<br>
<br>
ほとんどのブログサービスについている機能の一つとして「アクセス解析」というのがある。ようするに、僕のこのサイトにどうやってたどり着いたのかということが分かる機能。どういう検索用語でこのページにたどり着いたのか、あるいはどこからのリンクをたどって辿り着いたのかが分かるわけだ。誰が僕のブログを見たのかまでは分かりようがないのだけれど。<br>
（楽天のブログは、どこのサーバーからブログが閲覧されたのかが分かるらしい。このドリコムのブログにはそこまでの機能はない。）<br>
<br>
今回は、YahooやGoogleでどういう検索をして僕のページに辿り着いた人がいるのかという事を分析してみます。結構ウケル奴とかもある。<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">まずは、僕の名前関連のアクセス履歴。誰か僕の事を知っている人間が検索したのでしょう。誰なのか少しだけ気になるところだ。</span><br>
<br>
(Yahoo! 検索) 「 sachiho takahashi 」 <br>
(Yahoo! 検索) 「 sachiho 」 <br>
(Yahoo! 検索) 「 さちほ　ブログ 」 <br>
(Google 検索) 「 sachiho's 」<br>
(Yahoo! 検索) 「 SACHIHO'S JOURNEY 」   <br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">サッカー関連。一体何を知りたくて検索したのか良く分かりません。</span><br>
<br>
(Yahoo! 検索) 「 川口能活 天然ボケ 」<br>
(Yahoo! 検索) 「 ジダンの絵 」 <br>
(Yahoo! 検索) 「 ロナウジーニョ　１０連発 」 <br>
(Google 検索) 「 サントス　アレサンドロ　日本語が 」 <br>
 <br>
<span style="font-weight: bold;">野球関連。今夏の甲子園で優勝した斉藤君関連の検索が目立つ。96年大会の決勝でライトからの奇跡のバックホームをした松山商業の矢野君を検索してここに辿り着いた人がいるらしい。</span><br>
<br>
(Yahoo! 検索) 「 斉藤祐樹 田中将大 」<br>
(Yahoo! 検索) 「 荒木大輔と斉藤祐樹 」<br>
(Yahoo! 検索) 「 熊工練習試合 」<br>
(Yahoo! 検索) 「 ライト「矢野」「バックホーム」 」<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">何だかちょっとシモネタ関連。俺はアメリカ人のエッチがどうだとかそんな生々しい事を書いた記憶はないぞ～。</span><br>
<br>
(Yahoo! 検索) 「 アメリカ人のエッチ 」 <br>
(Yahoo! 検索) 「 パイレーツ 野球拳 ニュース　だっちゅーの 」 <br>
(Yahoo! 検索) 「 アメリカ　フィラデルフィア　売春　 」 <br>
<br>
  <br>
<span style="font-weight: bold;">桶川ストーカー事件の関連。確かにそんな事を書いたことがある。</span><br>
<br>
(Yahoo! 検索) 「 小松和人 写真 」<br>
(Yahoo! 検索) 「 猪野詩織 出身高校 」 <br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">オリンピック・スポーツ関連。最近スポーツネタが少し減ってきた気がするので今度書こうかと思います。</span><br>
<br>
(Google 検索) 「 鈴木大地　　離婚 」<br>
(Google 検索) 「 ソウルオリンピック　２００メートル男子金メダリスト 」  <br>
(Google 検索) 「 世界陸上　幅跳び　一位 」  <br>
(Yahoo! 検索) 「 世界陸上２００６ 」 <br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">インディオはコロンブスが連れてきた部隊やスペイン人・ポルトガル人などによって大虐殺された。その歴史を学ぼうと考えた人の検索でしょう。その中で特に激しく虐殺された民族の一つはタイノ族。</span><br>
<br>
(Yahoo! 検索) 「 タイノ族 」<br>
(Yahoo! 検索) 「 南米　　インディオ　　　殺戮 」 <br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">僕の友達の中で一番の有名人、イライザのことを検索してここにたどり着いた人がいるらしい。TSUTAYAなどで彼女のDVDなどを見ると久しぶりに会いたくなる。</span><br>
<br>
(Yahoo! 検索) 「 イライザ　ドゥシュク 」<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">おそらくこれを検索した人はボリビアの言葉で「愛してる」をどういうのか知りたかったのでしょうが、ボリビア語という言語はありません・・・・。僕がどこかで誤植で「ボリビア語」という言語を使ったのか「ボリビア」という言葉と「語」という言葉の組み合わせで僕のブログに行き着いたのか、Googleの仕組みのことは良く知らないので分からないけれど、ボリビア語という検索用語でも僕のブログに行き着くことが出来るらしい。</span><br>
<br>
(Google 検索) 「 ボリビア語　愛してる 」 <br>
<br>
ここ最近安倍晋三のこととかブラジルの経済政策のことなどについて書こうかな～などと思いつつ書き出しただけで終わってしまっていた。気づいたら10日も更新が滞ってしまっていた。<br>
<br>
準備ができたらそれらのことについてもちゃんと書こうと思います。<br>
それからもう一年以上前の話になるけれど、ボリビアにいたときの写真などを全然アップしていないのでそれらもアップしたりして行こうかと思います。<br>
今後ともよろしくお願いします。
<!-- BASENAME=http://sachihoinny.blog.drecom.jp/archive/163 -->
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=3753417&name=drecom_sachihoinny&pid=1216280" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216265.html">
<title>The Economist　と　エコノミスト</title>
<link>http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216265.html</link>
<description>イギリスのロンドンから発行されている週刊誌のThe Economist。
下の写真は7月5日の北朝鮮のミサイル発射の直後に発売されたThe Economistの表紙の写真。金正日総書記がミサイルのようにすっ飛んでいる。さすがはThe Economistだと思う。欧米人が好きそうなこの表紙だが、僕...</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2006-09-21T20:14:28+09:00</dc:date>
<dc:subject>徒然</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[イギリスのロンドンから発行されている週刊誌の<a href="http://www.economist.com" target="_blank">The Economist</a>。<br>
下の写真は7月5日の北朝鮮のミサイル発射の直後に発売されたThe Economistの表紙の写真。金正日総書記がミサイルのようにすっ飛んでいる。さすがはThe Economistだと思う。欧米人が好きそうなこの表紙だが、僕も個人的にこの表紙は面白いと思った。<br>
<br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/d/0/d02392fc.jpg" class="photo" alt="kiminspace.jpg" border="0"></div><br>
<br>
このThe Economistという雑誌は世界中の政治経済を幅広くカバーしており、経済学を学ぶ人間やビジネス界にいる人たちだけではなく、国際関係学や地域研究学を学ぶ上でも非常に有意義な雑誌である。<br>
<br>
ところで日本にもエコノミストという雑誌があるけれど、そのエコノミストとこの<br>
<a href="http://www.economist.com/" target="_blank">The Economist </a>は全く関係がないし、内容的にも全く違うものです。<br>
<br>
<img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/e/1/e140658f.jpg" class="photo" alt="20060919-122034.jpg" border="0" align="right">日本の<a href="http://www.mainichi.co.jp/syuppan/economist/" target="_blank">エコノミスト</a>は、典型的なサラリーマン向けの雑誌。顧客がどうとか、経営がどうとかそういう話題が基本的に多い。国際的なものに視点を向けた記事というのもあるのだが、ITマネーがどうとかどこの国がマーケットとして巨大かとか、企業向けの記事が多くなっている。企業人には多くのメリットを与えることが出来る雑誌だが、国際政治、社会学などを学ぶ人間にとってはあまり読みどころのない雑誌と言えるだろう。<br>
<br>
日本では他にも<a href="http://dw.diamond.ne.jp/index.shtml" target="_blank">ダイヤモンド</a>や<a href="http://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/index.html" target="_blank">東洋経済</a>などのいわゆるサラリーマン向けの雑誌が良く売れているようだ。偏見に満ち満ちた僕の個人的な意見を言ってしまえば、こういう種類の雑誌はあまり面白くない。もちろん数々の記事から得られるメリットなりベネフィットなりと言ったものはあるのだろうけれど、あまりにも金・会社というものに特化し過ぎてしまっているところがどうも好きにはなれない。そして、雑誌の体質的にどうしても日本社会の中ばかりに目が行ってしまっていて、「井の中の蛙」という感じがどうしてもしてしまうのだ。<br>
<br>
もちろんこういった類の雑誌の中にも面白い記事はチョクチョクあるのだけれど、大半の記事または表紙があまりに企業向けであり、内容があまりに<span style="font-weight: bold;">日本という国を日本的な視点で見るような</span>記事ばかりが目立つ、というところがどうも好きになれないのだ。<br>
<br>
週間ダイヤモンドの最新号、9月23日号の表紙は「出世できる大学」とデカデカと書いてある。<a href="http://dw.diamond.ne.jp/number/060923/index.html" target="_blank">目次</a>を見てみると、<br>
<span style="font-weight: bold;"><br>
「課長、部長、社長も要するに符丁なんだ。人間の価値とはまったく関係がない」。ホンダの創業社長・本田宗一郎はそう語ったが、上を目指すのはビジネスマンの健全な本能である。出世の力とは何か、大学を通して考えてみる。</span><br>
<br>
<br>
こう書いてある。なぜ本田宗一郎を引用する必要があったのか全く分からないような文章になっている。引用された本田宗一郎氏にあまりに失礼だろう。それに、上を目指すのがビジネスマンの「健全な本能」なのかどうか。個人の価値観の問題であろうが、僕は別に上を目指すことが健全な本能であるとは全く思わない。<br>
<br>
<img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/a/a/aa761756.bmp" class="photo" alt="diamond.bmp" border="0" align="left"><br>
<br>
大学を比べてどこの大学の人間の方が出世してるのかを統計を取って比べたら確かにそこに多少なりとも差は出てくるのだろう。しかし本来学問が主役であるべき大学を、企業にばかり直結させる考え方はどうかと思うのだ。<br>
そもそも大学とは「学ぶ」所であるのだという事を無視しようという勢いで、出世するためだけのツールとして堂々と大学を捉えてしまっているところに僕は少し腹が立つ。そんなことに重きを置いた大学運営や大学教育をしていても、<span style="font-weight: bold;">日本の大学の国際的な競争力</span>は絶対に上がらない。<br>
<br>
そもそも学部も学科も何も出してこないで大学名だけで「出世できる大学」とか「出世できない大学」とか声高に叫んでしまう時点で、<span style="font-weight: bold;">ああまだ日本は所詮「大学のネームバリューとかだけで張り合っている社会なのかなぁ」</span>という気持ちになって少し悲しくなってしまう。<br>
<br>
<br>
政治と経済と世界情勢を多角的にカバーするThe Economistのような雑誌が日本で発刊される日が来て欲しいとおもうけれど、それには何十年もの時間がかかるのだろうとつくづく思う。
<!-- BASENAME=http://sachihoinny.blog.drecom.jp/archive/166 -->
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=3753417&name=drecom_sachihoinny&pid=1216265" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216261.html">
<title>守ろうゴールデン街</title>
<link>http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216261.html</link>
<description>今日（9月19日）の朝日新聞の3面記事から。（ページで言うと35項）

新宿ゴールデン街、迫る再開発　５０階ビル構想も

リンクもつけたので、出来れば読んで欲しい。
簡単に言えば、戦後の混乱期のたたずまいをそのまま残しているような新宿のゴールデン街を再開発しようとい...</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2006-09-19T23:49:21+09:00</dc:date>
<dc:subject>徒然</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[今日（9月19日）の朝日新聞の3面記事から。（ページで言うと35項）<br>
<br>
<a href="http://www.asahi.com/national/update/0918/TKY200609180232.html" target="_blank"><span style="font-weight: bold;">新宿ゴールデン街、迫る再開発　５０階ビル構想も</span></a><br>
<br>
リンクもつけたので、出来れば読んで欲しい。<br>
簡単に言えば、戦後の混乱期のたたずまいをそのまま残しているような新宿の<a href="http://www.goldengai.net/" target="_blank">ゴールデン街</a>を再開発しようという構想が最近盛り上がっているという記事だ。<br>
<br>
再開発推進派とゴールデン街擁護派と、共にさまざまな意見があるではあろう。僕は擁護派だ。<br>
<br>
大都会の東京にあって、あれほど途上国のような雰囲気を残すことが出来ている場所は他に思い当たらないし、終戦直後の東京の歴史を垣間見ることができる数少ない場所だ。文化的に非常に価値があるように思える。　あそこでは、どうしようもない会話もたくさん交わされていると同時に、文学者や役者の卵が議論を戦わせる場でもある。あの飲み屋街こそ、古き良き日本の酒場を体現している。<br>
<br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/5/a/5ae568e0.jpg" class="photo" alt="ftokyo1412.jpg" border="0"></div><br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/b/8/b85bb635.jpg" class="photo" alt="10008794.jpg" border="0"></div><br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/5/b/5b23d89b.bmp" class="photo" alt="untitled.bmp" border="0"></div><br>
<br>
<a href="http://www.bunka.go.jp/" target="_blank">文化庁</a>はゴールデン街の文化的価値に関して何の言及もしていないようだ。文化をまもり人の心を豊かにすることが文化庁のコンセプトなようだが、結局人の心の豊かさなどはあまり考えていないように見受けられる。文化庁の目指すものは、「日本をどれだけきれいに見せかけることが出来るか」というところにある。だから、京都のお寺、古い壁画、または各地のお城などそんなことばかりが文化庁にとって重要であって、自然の美しさやローカルな文化などはいつもないがしろにされている。ましてや終戦直後の雰囲気を残すようなバラック酒場などは、残したいどころかつぶしてしまいたいのかも知れない。日本の文化庁にとって、日本人に歴史・文化を学ばせることよりも、日本を外に対してきれいに見せかけるほうが重要なのだ。<br>
<br>
日本文化を守り歴史を学ぶためには、寺、神社、城などの歴史的建物ばかりが文化として重要なのではないという事を国民が認識するべきだ。そうすることでしか、文化庁の体質は改善できないのではないか。<br>
<br>
文化庁批判はとりあえずおいておく。<br>
<br>
一度壊してしまったらもう絶対に戻ることのないあゴールデン街のあの雰囲気・・・・。戦後直後から脈々と続くあの雰囲気。バブルの時代も地上げ屋のプレッシャーを巧みに交わして生き残ってきたゴールデン街。「再開発」という名の下にこの「歴史」を簡単に破壊してしまっていいのか。<br>
<br>
都内とその近郊はどこもかしこも再開発・・・・・。再開発という名のもとに行われる自然と歴史の破壊行為・・・・。その影で、一体どれだけのエコロジストとノスタルジストが涙を流してきたのだろう。再開発というのが始まるとき、それをはじめようとするのはいつだって国か行政のような一般人には太刀打ちできないような組織、あるいは金をたくさん持っている巨大企業だ。そういった組織が再開発を始めようとしたとき、大多数である一般市民、または金のない人々はいつも涙を飲んで『歴史』そして『自然』がつぶれるのを指を咥えて見ているしかない・・・・そんな状況が戦後、東京の至るところで続いてきた。大手ゼネコン、地上げ屋、行政ばかりがホクホクとし、一般市民が涙を流すような社会が「よい社会」のはずがない。今こそ、その日本社会の体質を変えて行くべきだ。<br>
<br>
1898年に発表された国木田独歩の「武蔵野」を、1953年（昭和28年）手塚治虫が「鉄腕アトム」の中で引用した。（厳密には手塚治虫は独歩の原文そのままではなく、少年漫画向けに少し簡単な文章に変えて書いた。以下太字は手塚治虫の文章。）<br>
<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">武蔵野を歩く人は道をえらんではいけない<br>
<br>
ただその道をあてもなく歩くことで満足できる<br>
<br>
その道はきみをみょうなところへみちびく……<br>
<br>
もし人に道をたずねたら……<br>
<br>
その人は大声で教えてくれるだろう　おこってはならない<br>
<br>
その道は谷のほうへおりていく<br>
<br>
武蔵野にはいたるところ……<br>
<br>
谷があり　山があり　林がある<br>
<br>
頭の上で鳥がないていたらきみは幸福である</span><br>
<br>
独歩が描いた武蔵野の風景が次々と失われていくなか、手塚治虫は危機感を持っていたのだろう。鉄腕アトムの中の短編『赤いネコ』で独歩の『武蔵野』を引用し、昭和20年代に誰よりも先駆けてエコロジーをテーマにした漫画を書いたのだった。　<br>
<br>
「武蔵野」を読んでみよう。鉄腕アトムの中の「赤いネコ」を読んでみよう。そこからきっと我々は自然と歴史の大切さを学べるはずだ。
<!-- BASENAME=http://sachihoinny.blog.drecom.jp/archive/168 -->
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=3753417&name=drecom_sachihoinny&pid=1216261" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216247.html">
<title>9月11日</title>
<link>http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216247.html</link>
<description>せっかくなので2001年9月11日にアメリカに居た人間として、あの時僕が何をしていたかと言う事をここに書き記してみようと思う。

あの頃僕はボストンに住んでいた。ボストンからNYは車で約4時間。実際の距離を日本に当てはめれば東京から名古屋くらいの距離はあるけれど、ア...</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2006-09-14T10:18:56+09:00</dc:date>
<dc:subject>徒然</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[せっかくなので<span style="font-weight: bold;">2001年9月11日</span>にアメリカに居た人間として、あの時僕が何をしていたかと言う事をここに書き記してみようと思う。<br>
<br>
あの頃僕はボストンに住んでいた。ボストンからNYは車で約4時間。実際の距離を日本に当てはめれば東京から名古屋くらいの距離はあるけれど、アメリカ的な感覚で言えば大分近い。すぐ隣の町という感覚だ。そんなすぐ傍の街であの事件が起こった。<br>
<br>
あの日、４機の飛行機が墜落。２機がニューヨークのワールドトレードセンターに突っ込み、１機は国防省（ペンタゴン）に突っ込み、もう１機はピッツバーグ郊外に墜落。ワールドトレードセンターに突っ込んだ２機は両方とも当時僕の住んでいたボストンを飛びたった飛行機だ。<br>
<br>
あの日、僕は朝の8時くらいから大学の授業があった。確か9時前に授業が終わって普通に教室の外に出た。その間、8時46分に一機目の飛行機がワールドトレードセンターに突っ込む。授業の後の9時ごろ、大学の英語の先生のリンダにちょっと用事があったので彼女のオフィスに立ち寄った。<br>
僕「リンダ、おはよう！」<br>
リンダ　「なんかNYで飛行機がワールドトレードセンターに突っ込んだらしいわよ。」<br>
僕　「へぇ、なんかすごい事故だねぇ。」<br>
<br>
その時点で、リンダにも彼女のオフィスに居た人々にもまだ笑顔があった。オフィスにテレビはなくて、みんなテレビの画像を見ていなかったので何が起こっているのかもイマイチ分かっていなかった。さらにこの時点で2機目の飛行機はまだ突っ込んでなかったし、テレビを見ている人たちもまだ皆何が起こっているのか分かっていなかったはずだ。<br>
<br>
午前9時2分、2機目の飛行機がワールドトレードセンターに突っ込む。テレビを見ていたわけでもラジオを聴いていたわけでもなかった僕は、そんなことを知る由もなく、リンダとほんの２分ほど会話を交わして彼女のオフィスを出た。リンダと数分会話を交わして学校の隣のビルに移る間、なにやら雰囲気が慌ただしいような感じはした。しかし、気にも留めずに隣のビルまで歩いた。<br>
<br>
次の授業は昼前くらいからなのでインターネットでもやろうかと思い、学校のパソコンの前に腰を下ろした。<br>
<br>
そこで目にしたのはこんな<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#ff0000;"><span style="font-size: 125%;">衝撃画像</span></span></span>。さすがに自分の目を疑った。合成写真か特撮か何かとしか思えなかった。信じられないけれど、どうやら事実のようだ。<br>
隣でパソコンをやっていた人と一緒に「っていうかこれマジでヤバクねぇ？！」見たいな会話を咄嗟にした記憶がある。<br>
<br>
ニュース速報などに目を通していると、10時ごろになって学校の警備員の人がやってきた。<br>
「今日はもう休校になったから帰りなさい」と言われて家に帰った。<br>
<br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/f/4/f4e9eed5.jpg" class="photo" alt="wtc-1.jpg" border="0"></div><br>
<br>
学校から家に帰る途中のバス。一番後ろの席に座ったのだけど、僕の隣には白人の姉ちゃんが二人座っていた。<br>
<br>
僕：「君らも今日学校休みになったの？」<br>
二人とも結構笑顔で<br>
「そうなの～。これからどうなっちゃうのかしらねぇ」<br>
<br>
意外と笑顔な二人の女子大生に少し拍子抜けしてしまった。<br>
その日の夜だったか次の日の夜だったかは記憶がはっきりしていないのだけれど、アメリカ人の行列が僕のアパートの前を通った。<br>
皆でUSA!! USA!! USA!!　と言いながら歩いていた。あの瞬間だけは、アメリカ人の愛国的な言動に少しばかりの感動を覚えた。<br>
愛国主義と全体主義というのは表裏一体な面もあるけれど、自分の国を思い自分の国を守ろうとするその思いはいいものだと思った。<br>
これに関して語ると長くなりそうだ。<br>
<br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/6/e/6e44f8a9.jpg" class="photo" alt="nyc14175.jpg" border="0"></div><br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/2/5/25f778a1.jpg" class="photo" alt="september_17_2001_ground_zero_01.jpg" border="0"></div><br>
<br>
約8ヶ月後の2002年5月。グランド・ゼロ（ワールドトレードセンター跡地）を訪れた。まだ8ヶ月しか経っていなかったこともあって周りのビルの損傷も痛々しく残っていた。3000人の命を奪ったあのテロ。あの事件が本当に政治的に「過去のモノ」となり、現在の政治環境や政治的観点から切り離されて考えられる日は来るのだろうか。政治を抜きにして、世界の人々が犠牲者の冥福を祈ることが出来る日が来ることを願う。<br>
<br>
下の2枚の写真は2001年1月、KG、Oやん、Y氏とでNYの自由の女神を訪れた時のもの。奥の方に、在りし日のワールドトレードセンターが見える。<br>
<br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/d/2/d20f3b19.bmp" class="photo" alt="22_19.bmp" border="0"></div><br>
<br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/5/0/50cb2f75.bmp" class="photo" alt="24_21.bmp" border="0"></div>
<!-- BASENAME=http://sachihoinny.blog.drecom.jp/archive/164 -->
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=3753417&name=drecom_sachihoinny&pid=1216247" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216240.html">
<title>永遠の恋人Diana</title>
<link>http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216240.html</link>
<description>今日はCDの紹介行きます。
グラミー賞もとった歌姫Diana Krallのニューアルバム、From This Moment Onの紹介です。

このアルバム、なんとアメリカに先駆けて日本で先行発売。しかも日本での発売が8月30日でアメリカでの発売が9月19日。日本の方が3週間も早い。なぜこんな事...</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2006-09-10T23:23:21+09:00</dc:date>
<dc:subject>本・映画・CD</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[今日はCDの紹介行きます。<br>
グラミー賞もとった歌姫<a href="http://www.dianakrall.com" target="_blank">Diana Krall</a>のニューアルバム、<span style="color:#cc0000;"><span style="font-weight: bold;">From This Moment On</span></span>の紹介です。<br>
<br>
このアルバム、なんとアメリカに先駆けて日本で先行発売。しかも日本での発売が8月30日でアメリカでの発売が9月19日。日本の方が3週間も早い。なぜこんな事が起こるのだろう。レコード産業に詳しい人、知っていたら教えてください。<br>
<br>
僕はアメリカ人よりも先に聞きたくて、思わず発売とほぼ同時に買ってしまいました。<br>
<br>
このアルバム、ダイアナ初のスタンダード集だそうです。スタンダード集がどういう意味か僕もよく分からなかったのですが、調べてみたところどうやら<br>
<span style="font-weight: bold;">「ミュージカルや映画を出典とし、永きにわたって愛されてきたアメリカン・ソングブックから楽曲が選ばれた」</span>という事だそうです。（太字部分は<a href="http://www.universal-music.co.jp/jazz/artist/diana/uccv1095.html" target="_blank">ここのサイト</a>から抜粋。）<br>
<br>
なるほど確かに聞いてみると、今までの彼女にはなかったようなとっても昔ながらのジャズという感じで仕上がっていた。<br>
<br>
この下記のサイト（すぐ上のリンクと同じサイト）から、試聴が出来たり解説が読めたりします。写真はアルバムのジャケットです。<br>
<br>
<a href="http://www.universal-music.co.jp/jazz/artist/diana/uccv1095.html" target="_blank">http://www.universal-music.co.jp/jazz/artist/diana/uccv1095.html</a><br>
<br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/8/7/87c06712.jpg" class="photo" alt="b000gg4ktu.01.jpg" border="0"></div><br>
<br>
Diana Krallはこれまでに他にも数枚CDを出しているけれど、その過去のアルバムの中で僕の好きなのはやっぱり<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#ff0000;">The Look of Love</span></span>です。<br>
このアルバムはどの曲も素晴らしいけれど、最初の曲S'Wonderful（ス・ワンダフル）、<br>
そして5曲目のBesame Mucho（ベサメ・ムーチョ）が最高です。<br>
5曲目のBesame Muchoは歌詞が全てスペイン語の曲。カナダ生まれで英語を母国語と刷る彼女が、スペイン語をほぼ完璧に発音しています。<br>
さすがJazz Vocalist。ジャズの歌い手というのは、どんな言語でも上手な発音で歌う能力があるそうです。ちなみにベサメ・ムーチョというのは英語に訳すとすれば&quot;Please kiss me a lot&quot; 要するに、「たくさんキスして」という事です。<br>
歌の内容と旋律は少しだけ物悲しくて<br>
<br>
<span style="color:#3300ff;">キスして　たくさんキスして<br>
今宵が最後であるかの様に<br>
<br>
私はあなたを失うのが怖いのです・・・・</span><br>
<br>
というような感じの歌詞のないようです。<br>
星の数ほどの歌手達がこの曲をカバーしているけれど、僕はやっぱりダイアナが歌うBesame Muchoが一番好きです。<br>
<br>
下はThe Look of Loveへのリンクとアルバムのジャケット。<br>
<br>
<a href="http://www.universal-music.co.jp/jazz/artist/diana/uccv1020.html" target="_blank">http://www.universal-music.co.jp/jazz/artist/diana/uccv1020.html</a><br>
<br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/d/4/d4296892.jpg" class="photo" alt="b00005n9cv.01.jpg" border="0"></div><br>
<br>
彼女のジャズ・ヴォーカリストとしての素晴らしさは一度聞けば素人でも分かります。もし機会があったら是非皆さんも買ってみてはいかがでしょうか。<br>
<br>

<!-- BASENAME=http://sachihoinny.blog.drecom.jp/archive/161 -->
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=3753417&name=drecom_sachihoinny&pid=1216240" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216234.html">
<title>ドミニカ共和国日本人移民　２</title>
<link>http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216234.html</link>
<description>昨日の続き。

昨日アップした外務省の愚行。それを愚行と思うか否かは個人の価値観の問題になってきてしまうのかも知れないが、僕は個人的に外務省がドミニカ移民に対してとってきた行動は愚行以外の何者でもないと思う。

しかし移民たちが国を相手取って戦った裁判の結果...</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2006-09-09T20:47:32+09:00</dc:date>
<dc:subject>ラテンアメリカ</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[昨日の続き。<br>
<br>
昨日アップした外務省の愚行。それを愚行と思うか否かは個人の価値観の問題になってきてしまうのかも知れないが、僕は個人的に外務省がドミニカ移民に対してとってきた行動は愚行以外の何者でもないと思う。<br>
<br>
しかし移民たちが国を相手取って戦った裁判の結果、原告の請求は棄却された。時間が経ち過ぎていたのが大きな理由なようだ。<br>
<br>
詳しい結果は<a href="http://www.dominica.jp/shinhanketsu.pdf" target="_blank">こちら</a>（200ページに及ぶ判決文）から。<br>
<br>
弁護団声明は<a href="http://www.dominica.jp/bengodanseimei.pdf" target="_blank">こちら</a>、さらにもう一つ<a href="http://www.dominica.jp/bengodanseimei2.pdf" target="_blank">こちら</a>から。<br>
<br>
弁護団声明によると、<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">同判決は、当時の外務大臣らについて国策移住の公務遂行上の義務違反と国<br>
賠法上の損害賠償責任の発生を認めましたが、入植以来２０年の期間が経過し<br>
たことで請求権は消滅したという理由で、結論として、原告らの請求を棄却し<br>
ました。</span><br>
<br>
小泉総理は、「裁判の内容では明らかに国が負けている、国側の実質的な敗訴だ」と発言。その流れで、<a href="http://www.dominica.jp/shazaibun.pdf" target="_blank">小泉総理は謝罪</a>をした。しかしどこまでも愚かな外務省はそれでも、「総理の見解は法的なものではない」とし、どこまでも責任を逃れようとしている。このまま外務省のなぁなぁな言い訳を許し、この出来事を風化させてしまうような事がないようにしていきたいと思う。<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">7月30日付けの毎日新聞から</span><br>
【サントドミンゴ庭田学】カリブ海のドミニカ共和国で２９日に開かれた「ドミニカ日本人移住５０周年記念祭」で、小泉純一郎首相の特使として首相メッセージを移住者に読み上げた尾辻秀久前厚生労働相は過去の経緯を深々と謝罪し、出席者から大きな拍手を浴びた。 <br>
<br>
　尾辻氏はこれまでの政治活動の中でドミニカ移民問題に強い関心を持ち、訴訟では原告団を支援してきた。あいさつでは「私はこれまで政府に土下座して謝れと言い続けてきた。私はここで土下座すべきだが、土下座は首相特使として勝手にやれる範囲を超えている」と複雑な立場を説明した後、「土下座のつもりでおわびをします」と言うと突然壇上から降り、深々と何度も頭を下げた。出席者は立ち上がって大きな拍手をした。 <br>
<br>
　嶽釜（たけがま）徹・記念祭執行委員長は「これまで政府に土下座しろと言い続けてきた尾辻さんは、立場が逆になり、土下座しないことには自分としても納得できないし、移住者も認めてくれないと思ったのだろう。あのような態度を取ることは簡単ではない。感動した」と語った。<br>
<br>
<img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/6/2/62781bfd.jpg" class="photo" alt="2_20060731k0000m040027002c.jpg" border="0" align="left">ドミニカ日本人移住５０周年記念祭で、壇上から降り移住者に深々と頭を下げ謝罪する尾辻秀久首相特使＝サントドミンゴのホテルで２９日午前１１時４３分、庭田学写す<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
写真下：ボリビアの日系人との飲み会。2005年7月ボリビアのサンタクルスにて。左から3番目の青いTシャツを着てるのが僕で、それ以外は全員日系人です。<br>
ボリビアの日本人移住地サンフアンとオキナワはいわゆる成功した移住地と言っていいだろう。しかし50年前、彼らの祖父母が入植した時代には想像しえぬ程の苦労があったといわれる。本当に何一つなかった、道路さえもなかったジャングルを切り開いてそこを一つの町にしたのだから。<br>
遅まきながらJICAなどの補助金と融資があったこともあるのだが、この移住地が成功し現在もそれが保たれている最大の理由は、彼らの祖父母や両親そして彼ら自身の努力の賜物というべきだと思う。<br>
<br>
<div style="text-align: center;"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/drecom_sachihoinny/imgs/f/0/f07cf700.jpg" class="photo" alt="kif_0702.jpg" border="0"></div><br>
<br>
昨日、今日と非常に長々と移民の話を書きましたが、移民に興味のある方は僕が過去に書いた<a href="http://blog.drecom.jp/sachihoinny/archive/12" target="_blank">『アメリカ大陸の日系移民』</a>や<a href="http://blog.drecom.jp/sachihoinny/archive/18" target="_blank">『ハルとナツ　移民を描いたドラマ』</a>なども参考にしてください。<br>
<br>
昨日、今日の長ったらしいエントリーを全部読んでくれたあなたは偉い。
<!-- BASENAME=http://sachihoinny.blog.drecom.jp/archive/160 -->
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=3753417&name=drecom_sachihoinny&pid=1216234" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216229.html">
<title>ドミニカ共和国日本人移民</title>
<link>http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216229.html</link>
<description>戦前、満州などを中心とする外地への移民政策（この場合は移民というよりも外地へ余剰人口を外地に送り出したというほうが正確ではある。）を奨励していた日本。
戦後は国が中心となり南米を主とした移住政策を展開する。戦争により多くの植民地を失い経済的にもほぼ破綻して...</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2006-09-08T23:40:29+09:00</dc:date>
<dc:subject>ラテンアメリカ</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[戦前、満州などを中心とする外地への移民政策（この場合は移民というよりも外地へ余剰人口を外地に送り出したというほうが正確ではある。）を奨励していた日本。<br>
戦後は国が中心となり南米を主とした移住政策を展開する。戦争により多くの植民地を失い経済的にもほぼ破綻していた日本国家。さらには国土狭小、人口過多。膨れ上がる人口を経済的に受け入れる余裕がなかった日本は移民政策を奨励していたわけだ。<br>
<br>
こういった背景から始まった戦後移住政策は、<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">大農場主になれる夢を持たせて約6万7千人の日本人を南米中心に送り出した。ところが政府が設定した移住先は、貧しい国から豊かな国へ流れる移民の大原則に反し、文明社会から隔絶された厳しい気候の辺境の地だった。中でも自衛開拓移民として原始林に棄てられ、孤立無援の最も過酷な状況に置かれた日本人は、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチン、ドミニカ(共和国）、ボリビアの5カ国一万六千人にも上る。高度経済成長の到来とともに、移民、移住は企業の海外進出とすり替えられ、本国の記憶から抹消されてしまった。</span><br>
（太字部分：若槻泰雄　『外務省が消した日本人』毎日新聞社　2001年　から抜粋）　<br>
<br>
ここ数ヶ月、あまり大きくは報道されて来なかったが、ドミニカ移民問題というのがしばしば報道されてきた。<br>
<br>
――――――――――――<br>
<br>
<span style="color:#ff0000;"><span style="font-weight: bold;">ちょっと休憩and解説</span></span><br>
<br>
<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%AB%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD" target="_blank">ドミニカ共和国</a>と<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%AB%E5%9B%BD" target="_blank">ドミニカ国</a>というのは違う国だというのをご存知でしたか？ドミニカ共和国は、サミー・ソーサ、マニー・ラミレス、ペドロ・マルティネス、アルフォンソ・ソリアーノなどの有名なメジャーリーガーを輩出している国であり、人口も約900万人。比較的、国際的プレゼンスが高い国だと言っていいでしょう。それに対して、ドミニカ国は同じくカリブ海の国ですが、こちらは面積わずか約754平方キロメートル、（東京23区は621平方キロメートル）人口はわずか7万人ほどの小国です。ちなみに公用語は、ドミニカ共和国はスペイン語、ドミニカ国は英語です。<br>
<br>
―――――――――<br>
<br>
ドミニカ移民問題というのは、要するにドミニカ共和国への日本人移民は日本政府によって捨てられた棄民なのか否かというところ。そして果たして日本政府は本当に移民として旅発っていった日本人たちをだましたのかということ。<br>
政府がその責任を認めるのならば、その責任をどのように国が負うべきなのかという問題だ。それについて、<span style="font-weight: bold;">ここ数年ずっと裁判が行われてきた</span>。<br>
<br>
国が移民たちを騙したのか否かについては、どんなに公平な目で見たとしても「騙した」というしかないであろう。騙したという言葉が少し強烈過ぎるとしたならば、「国に非があったために移民たちが絶句するほどの苦労を味わった」としてもいい。それはもはや厳然だる事実以外の何者でもないと思う。<br>
<br>
少しでも興味があるならばどうか<a href="http://www.dominica.jp/1_humanrights.html" target="_blank">このリンク</a>を覗いてみてほしい。<br>
このリンク先の最初の項目にある「約束の農地」。<br>
日本とドミニカ共和国の移民協定で定められた約束は「一戸あたり“最大”で18ヘクタールを支給する。」となっていた。<br>
ところが日本政府が移民を募集した時の要項には、「ドミニカ共和国に行けば分け隔てなく一戸あたり18ヘクタールが与えられる」とした。<br>
また、ドミニカ共和国の農務省などが移住地の準備が整わず、日本に移民の渡航を先延ばしにしてくれと伝達してきた。それにもかかわらず、「移民を送り出した」　という実績がほしかっただけの日本外務省はそれを無視。移住者たちが移住地に移った後の生活などは考えずにただただ移民を送り出すことに専心していたことがよく伺える。<br>
<br>
また、先ほどのリンクの6番に是非注目してほしい。JICAがサラ金さながらの借金取立てをしているというこの事実。国際協力、国際発展などを目指す学生などから、時としてJICAは神格化された存在のように扱われてしまうことがあるが、こういう事実もあるということを是非知ってほしいと思う。JICAを批判しまくれとは思わないけれど、これは知っておいていい側面だと思う。<br>
<br>
ドミニカ共和国へは、1956年7月の第一陣に続き次から次へと移民が送り込まれ結果的に入植した日本人の数は249家族、1319名に上った。約束よりもはるかに少ない農地、さらに耕しても耕しても塩か石ころしか出て来ないような場所で想像を絶するような生活を送り続けてた移民たち。1961年、追い討ちをかけるようにドミニカ共和国のラファエル・トルヒーヨ大統領が暗殺されたことにより、政局は大いに混乱する。その煽りを受け、移民たちの生活は更なる混乱を極める事となった。<br>
<br>
ここからは日系ビジネス7月31日号、ドミニカ日系人協会会長の嶽釜徹氏の寄稿から抜粋。<br>
<br>
<span style="font-weight: bold;">ドミニカでは61年にトルヒーヨ大統領が暗殺されて、政情が不安定になりました。これを理由に国は移住者を別国に移民させるか、日本に帰還させる政策をとりました。だけど国は正常不安を理由につけて、自分らの募集要項の不履行についてはなかったことにしようとしたのです。そして日本に帰りたい人は帰します、再度中南米に移住したい人はどうぞ、残りたい人はどうぞご自由に。こうやったわけです。<br>
しかし財産を処分して国を出た我々に「どうぞ」と言われても簡単には帰れません。ですから我々は大使館と募集要項の履行を求めて地道に交渉しました。しかし大使館に行けば、「日本の大使は天皇の名代ですよ、あなた方が会えるものじゃない」と玄関払いです。</span><br>
<br>
ここまで書いてきた話を簡単にしてしまうとこうなる。<br>
<br>
日本外務省の移民募集要項　――<br>
狭い日本を抜け出して、カリブのパラダイスへ！美しいドミニカ共和国へ！<br>
一戸あたり18ヘクタールの素晴らしい農地が割り当てられます！<br>
準備万端のドミニカ共和国はあなたたちを待っている。<br>
<br>
貧困を抜け出すため、または大農場主になることを夢見て、多くの人々がこの募集に飛びついた。故国日本を捨てる覚悟を決め、有り金を全部これからのおドミニカでの生活に注ごうと言う人が集まった。<br>
<br>
ところが行ってみれば上記のようなひどい状況。生きるか死ぬかの瀬戸際。絶望のあまり自殺に追い込まれた人は10名を超えると言われる。外務省が定めた契約の履行は全くなされず。<br>
加えて、1961年の大統領暗殺による政情不安。<br>
<br>
大統領暗殺という政局の混乱に伴う日本人の暮らしのあまりの極限状態にさすがの外務省も事の重大さに気づき、渡航費をもつから帰りたい人にはどうぞ帰ってきてくださいと確かに外務省は言ったようだ。しかし問題は、その後日本に戻った人たちにもドミニカに残った移民たちにも、日本外務省が何一つしてあげなかったこと。<br>
<br>
帰りたいのなら帰りなさい、残りたいのなら残りなさい。そういっておいて、後は何もしなかったのだ。<br>
<br>
5年間という時間を生死をさまよいながら生きたような人々。それは明らかに外務省に非がある。その非を全く認めようとせず、後から起こった政情不安を理由に、契約不履行の責任を逃れようとした。これはもう否定のしようがない事実なわけだ。<br>
<br>
ここで、やってはいけないことかも知れないけれど、特定の個人と省庁を叩かせていただく。その特定の人物は、外務省領事局政策化上席専門館の<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#ff0000;"><span style="font-size: 150%;">柴崎二郎氏</span></span></span>であり、特定の省庁とは<span style="font-weight: bold;"><span style="font-size: 150%;"><span style="color:#ff0000;">外務省</span></span></span>だ。この人たちは少なくともこの問題において、大いなる<span style="font-weight: bold;"><span style="color:#ff0000;"><span style="font-size: 150%;">嘘つきだ</span></span></span>。日系ビジネスというビジネス誌の中で大きな嘘をつき、さらには誰も受け入れられないような言い訳を書いたのだ。<br>
柴崎氏も、外務省の立場からモノを書いたのだろうが、良心があればこんな書き方は出来ないはずだと思う。<br>
<br>
日系ビジネス2006年7月31日号の120項　柴崎二郎氏の文章<br>
<br>
<span style="color:#ff0000;"><span style="font-weight: bold;">ラファエル・トルヒーヨ大統領が1961年に暗殺され、ドミニカ全体が混乱したときも対応しました。移住者に対してドミニカからの移住を勧めました。結果、133世帯が日本に戻り、70世帯が他国に移住しました。ドミニカに残ったのは47世帯だけでした。日本への帰国費用は政府が持ちました。帰国後、就職の斡旋も行っています。<br>
<br>
「大使館は何もしてくれないじゃないか」と言われます。そうした感情を持たせてしまったことは、我々にも責任があるかもしれません。至らない点も多かったでしょうが、話し合わなければ、先には進めないことも分かってもらいたいですね。</span></span><br>
<br>
前半部分。確かに外務省は日本に戻ることを希望した人々の帰国費用を支払った。しかし、パラダイスを信じて全財産をはたいてドミニカに渡った人々を、あすの食い物も命も分からない状況に人を5年間も追い込んでおいて「帰国費用を持ちました。」はないだろう。彼らの5年間をどうするつもりなのだ。<br>
<br>
しかも、帰国した人の就職の斡旋などは断じて行っていない。そういう例は数例あったのかも知れないが、帰国移民の口から「就職の斡旋を外務省にやってもらいました」という声は全く聞かれないのだ。第一、補償も賠償も行わずに就職の斡旋を行っただけで外務省の罪が償われるとでも思っているのだろうか。担保とするものも何もなかった帰国移民たちは金融機関などからも冷遇され、日本の生活の基盤を再構築するすべが何も与えられなかった。さらに外務省は、日本に帰国したドミニカ移民たちが、一枚岩となって外務省に抗議の声をあげることを恐れたのだ。だから、移民たちをそれぞれの故郷に手っ取り早く送り返して彼らの団結を封じた。<br>
<br>
そんな事実に全く触れずに「帰国費用は持ちましたし、就職の斡旋もしました。」などと言い逃れをしようとするのは言語道断と言っていいだろう。<br>
<br>
柴崎氏のコメントの後半部分は、嗚呼もう聞くに堪えない。あまりにも官僚くさい言い訳。話し合いは確かに大事かも知れないが、彼らはレイプしても殺人しても「至らぬ部分もあったかもしれない。話し合おうじゃないか。」などというのだろうか。<br>
<br>
ドミニカに残った人々に関しては完全に無視をした挙句、彼が外務省に何を言っても取り合わなかった。貧困と恐怖にあえぐ自国の民、しかも自分たちが募集してわざわざ送りだした自国の民を、まったく救おうとしなかったのだ。<br>
<br>
続く
<!-- BASENAME=http://sachihoinny.blog.drecom.jp/archive/156 -->
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=3753417&name=drecom_sachihoinny&pid=1216229" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216224.html">
<title>ちょっと一杯</title>
<link>http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216224.html</link>
<description>友人Tと飯を食おうということになって、食いに行った。その後ちょっと一杯と言うことで酒を軽く飲んだ。

はずだった・・・・・・

飲みだしたのは１０時ごろのはずだったのに、気づいたら朝６時前。
「ちょっと一杯がエンドレス」というのはまさにこの事だな。
行き着けの焼...</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2006-09-07T23:09:43+09:00</dc:date>
<dc:subject>徒然</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[友人Tと飯を食おうということになって、食いに行った。その後ちょっと一杯と言うことで酒を軽く飲んだ。<br>
<br>
<span style="color:#0000ff;"><span style="font-weight: bold;">はずだった・・・・・・</span></span><br>
<br>
飲みだしたのは１０時ごろのはずだったのに、気づいたら朝６時前。<br>
「ちょっと一杯がエンドレス」というのはまさにこの事だな。<br>
行き着けの焼き鳥屋の兄ちゃん方、普段は３時前くらいに閉まるのに朝６時近くまで店を開けてくれた。どうもありがとう。酒もおいしかったです。<br>
ちと飲みすぎたかな。でも楽しかったから良かった。<br>
たまには朝まで酒を飲むのもいいものだ。
<!-- BASENAME=http://sachihoinny.blog.drecom.jp/archive/162 -->
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=3753417&name=drecom_sachihoinny&pid=1216224" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216220.html">
<title>After 8 years</title>
<link>http://sachihoinny.dreamlog.jp/archives/1216220.html</link>
<description>8年ぶりに、秋が来る。8年ぶりに過ごす日本での秋だ。
8年前はまだ21歳だった。

今日の早朝、外に出たら秋風が吹いていた。懐かしい風の匂いだ。あの頃も、こんな秋風が吹いていたっけな。9月、10月の東京の気候ってどんな感じだったっけかな。あれから本当にもう8年も経っ...</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2006-09-07T10:11:25+09:00</dc:date>
<dc:subject>徒然</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[8年ぶりに、秋が来る。8年ぶりに過ごす日本での秋だ。<br>
8年前はまだ21歳だった。<br>
<br>
今日の早朝、外に出たら秋風が吹いていた。懐かしい風の匂いだ。あの頃も、こんな秋風が吹いていたっけな。9月、10月の東京の気候ってどんな感じだったっけかな。あれから本当にもう8年も経ったのかな。そして8年前の秋は、何を考えてたっけ？<br>
<br>
29歳になった今、あの頃の自分から何か進歩したのかな？語学力は多少アップしたけれど、人間的に俺は何か成長したのだろうかとふと考えてしまう。<br>
ぶっちゃげた話、あまり成長したようには思えなかったりもする。少しは成長したのかもしれないけれど、具体的な部分が何も思いつかない。俺は変わったのだろうか？俺は少しでも大人になったのだろうか？<br>
<br>
別に「成長するぞ！」と思ったとしてもそうそう人間簡単に変われるものでもない。本質の部分や根本にある性格なんていうものは、脳かハートでも入れ替えない限りそう簡単には変わらない気がする。人を見てても自分を省みてもつくづくそう思う。大して変わったようにも思えないのに、うわべの部分だけを変えて「俺は生まれ変わった」などと自信満々に言う人間にも胡散臭さを感じずにはいられなかったり。<br>
<br>
概して、自分が変わったと思ってると人は「変わらないね」とか言ってくるし、自分は変わってないつもりなのに人は「変わったね」とか言ってくるし。そんな事ってありません？さらに、前に書いた詩にも共通していることだけれど、「変わらないで、そのままでいて下さい」と誰かが言ったと思ったら、今度は「君は早くその性格変えたほうがいいと思うよ」とか誰かに言われたり。<br>
そう考えると何がいいのかも結局はよう分からん。<br>
<br>
正直、そんなことはどうでもいいのだ。<br>
<br>
かなり支離滅裂。<br>
<br>
８年ぶりの懐かしい秋風に吹かれて、そんなことをぼやぁっと考えた。
<!-- BASENAME=http://sachihoinny.blog.drecom.jp/archive/155 -->
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=3753417&name=drecom_sachihoinny&pid=1216220" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>

</rdf:RDF>

