イギリスのロンドンから発行されている週刊誌のThe Economist。
下の写真は7月5日の北朝鮮のミサイル発射の直後に発売されたThe Economistの表紙の写真。金正日総書記がミサイルのようにすっ飛んでいる。さすがはThe Economistだと思う。欧米人が好きそうなこの表紙だが、僕も個人的にこの表紙は面白いと思った。

このThe Economistという雑誌は世界中の政治経済を幅広くカバーしており、経済学を学ぶ人間やビジネス界にいる人たちだけではなく、国際関係学や地域研究学を学ぶ上でも非常に有意義な雑誌である。
ところで日本にもエコノミストという雑誌があるけれど、そのエコノミストとこの
The Economist は全く関係がないし、内容的にも全く違うものです。
日本のエコノミストは、典型的なサラリーマン向けの雑誌。顧客がどうとか、経営がどうとかそういう話題が基本的に多い。国際的なものに視点を向けた記事というのもあるのだが、ITマネーがどうとかどこの国がマーケットとして巨大かとか、企業向けの記事が多くなっている。企業人には多くのメリットを与えることが出来る雑誌だが、国際政治、社会学などを学ぶ人間にとってはあまり読みどころのない雑誌と言えるだろう。
日本では他にもダイヤモンドや東洋経済などのいわゆるサラリーマン向けの雑誌が良く売れているようだ。偏見に満ち満ちた僕の個人的な意見を言ってしまえば、こういう種類の雑誌はあまり面白くない。もちろん数々の記事から得られるメリットなりベネフィットなりと言ったものはあるのだろうけれど、あまりにも金・会社というものに特化し過ぎてしまっているところがどうも好きにはなれない。そして、雑誌の体質的にどうしても日本社会の中ばかりに目が行ってしまっていて、「井の中の蛙」という感じがどうしてもしてしまうのだ。
もちろんこういった類の雑誌の中にも面白い記事はチョクチョクあるのだけれど、大半の記事または表紙があまりに企業向けであり、内容があまりに日本という国を日本的な視点で見るような記事ばかりが目立つ、というところがどうも好きになれないのだ。
週間ダイヤモンドの最新号、9月23日号の表紙は「出世できる大学」とデカデカと書いてある。目次を見てみると、
「課長、部長、社長も要するに符丁なんだ。人間の価値とはまったく関係がない」。ホンダの創業社長・本田宗一郎はそう語ったが、上を目指すのはビジネスマンの健全な本能である。出世の力とは何か、大学を通して考えてみる。
こう書いてある。なぜ本田宗一郎を引用する必要があったのか全く分からないような文章になっている。引用された本田宗一郎氏にあまりに失礼だろう。それに、上を目指すのがビジネスマンの「健全な本能」なのかどうか。個人の価値観の問題であろうが、僕は別に上を目指すことが健全な本能であるとは全く思わない。

大学を比べてどこの大学の人間の方が出世してるのかを統計を取って比べたら確かにそこに多少なりとも差は出てくるのだろう。しかし本来学問が主役であるべき大学を、企業にばかり直結させる考え方はどうかと思うのだ。
そもそも大学とは「学ぶ」所であるのだという事を無視しようという勢いで、出世するためだけのツールとして堂々と大学を捉えてしまっているところに僕は少し腹が立つ。そんなことに重きを置いた大学運営や大学教育をしていても、日本の大学の国際的な競争力は絶対に上がらない。
そもそも学部も学科も何も出してこないで大学名だけで「出世できる大学」とか「出世できない大学」とか声高に叫んでしまう時点で、ああまだ日本は所詮「大学のネームバリューとかだけで張り合っている社会なのかなぁ」という気持ちになって少し悲しくなってしまう。
政治と経済と世界情勢を多角的にカバーするThe Economistのような雑誌が日本で発刊される日が来て欲しいとおもうけれど、それには何十年もの時間がかかるのだろうとつくづく思う。
下の写真は7月5日の北朝鮮のミサイル発射の直後に発売されたThe Economistの表紙の写真。金正日総書記がミサイルのようにすっ飛んでいる。さすがはThe Economistだと思う。欧米人が好きそうなこの表紙だが、僕も個人的にこの表紙は面白いと思った。

このThe Economistという雑誌は世界中の政治経済を幅広くカバーしており、経済学を学ぶ人間やビジネス界にいる人たちだけではなく、国際関係学や地域研究学を学ぶ上でも非常に有意義な雑誌である。
ところで日本にもエコノミストという雑誌があるけれど、そのエコノミストとこの
The Economist は全く関係がないし、内容的にも全く違うものです。
日本のエコノミストは、典型的なサラリーマン向けの雑誌。顧客がどうとか、経営がどうとかそういう話題が基本的に多い。国際的なものに視点を向けた記事というのもあるのだが、ITマネーがどうとかどこの国がマーケットとして巨大かとか、企業向けの記事が多くなっている。企業人には多くのメリットを与えることが出来る雑誌だが、国際政治、社会学などを学ぶ人間にとってはあまり読みどころのない雑誌と言えるだろう。日本では他にもダイヤモンドや東洋経済などのいわゆるサラリーマン向けの雑誌が良く売れているようだ。偏見に満ち満ちた僕の個人的な意見を言ってしまえば、こういう種類の雑誌はあまり面白くない。もちろん数々の記事から得られるメリットなりベネフィットなりと言ったものはあるのだろうけれど、あまりにも金・会社というものに特化し過ぎてしまっているところがどうも好きにはなれない。そして、雑誌の体質的にどうしても日本社会の中ばかりに目が行ってしまっていて、「井の中の蛙」という感じがどうしてもしてしまうのだ。
もちろんこういった類の雑誌の中にも面白い記事はチョクチョクあるのだけれど、大半の記事または表紙があまりに企業向けであり、内容があまりに日本という国を日本的な視点で見るような記事ばかりが目立つ、というところがどうも好きになれないのだ。
週間ダイヤモンドの最新号、9月23日号の表紙は「出世できる大学」とデカデカと書いてある。目次を見てみると、
「課長、部長、社長も要するに符丁なんだ。人間の価値とはまったく関係がない」。ホンダの創業社長・本田宗一郎はそう語ったが、上を目指すのはビジネスマンの健全な本能である。出世の力とは何か、大学を通して考えてみる。
こう書いてある。なぜ本田宗一郎を引用する必要があったのか全く分からないような文章になっている。引用された本田宗一郎氏にあまりに失礼だろう。それに、上を目指すのがビジネスマンの「健全な本能」なのかどうか。個人の価値観の問題であろうが、僕は別に上を目指すことが健全な本能であるとは全く思わない。

大学を比べてどこの大学の人間の方が出世してるのかを統計を取って比べたら確かにそこに多少なりとも差は出てくるのだろう。しかし本来学問が主役であるべき大学を、企業にばかり直結させる考え方はどうかと思うのだ。
そもそも大学とは「学ぶ」所であるのだという事を無視しようという勢いで、出世するためだけのツールとして堂々と大学を捉えてしまっているところに僕は少し腹が立つ。そんなことに重きを置いた大学運営や大学教育をしていても、日本の大学の国際的な競争力は絶対に上がらない。
そもそも学部も学科も何も出してこないで大学名だけで「出世できる大学」とか「出世できない大学」とか声高に叫んでしまう時点で、ああまだ日本は所詮「大学のネームバリューとかだけで張り合っている社会なのかなぁ」という気持ちになって少し悲しくなってしまう。
政治と経済と世界情勢を多角的にカバーするThe Economistのような雑誌が日本で発刊される日が来て欲しいとおもうけれど、それには何十年もの時間がかかるのだろうとつくづく思う。










ドミニカ日本人移住50周年記念祭で、壇上から降り移住者に深々と頭を下げ謝罪する尾辻秀久首相特使=サントドミンゴのホテルで29日午前11時43分、庭田学写す