2006年08月

あの日の言葉

いろんな人がいて
いろんな事を言う

それが一番いいと思うよ
そんなんじゃ絶対だめだ
あいつっていい奴だよね
あの野郎マジでむかつく
そういう考え方って素敵だよね
そんな考え方してたらだめになっちゃうよ
そんなことが言えるのってすごいよね
そんなこと言ってるからお前はだめなんだ!
君は本当にいい奴だ
お前マジでむかつくんだ!

いろんな人がいて
いろんな事を感じる

生きるってすばらしい
生きるのってあまりにも辛い
愛するもののために生きている
憎むべきものへの復讐のために生きている
まだ死にたくない
ここで死んでたまるか
もう死んでしまいたい
あの人と一緒にいたい
今は一緒にはいられない
大好きだった
だけど今は好きじゃない・・・

表と裏の二つどころか
あまりにも多くの考え方が 感性が 
この世の中には蠢いていて

いろんな思いが蠢くその中で
いったいどっちがどうで
何がどうして どうして何が
どっちがどうで 何が本当?

時として 
間違えが正解として扱われ 正解が間違いで 
敵が味方で 味方が敵で 
重いことが軽くて 軽いことが重い
本当が嘘で 嘘が本当
どこかに絶対的な答えは存在するのですか?

誰かが僕に囁いた
「絶対なんてものは 絶対あり得ない。」
しかし 絶対があり得ないのなら どうして絶対がないという事を
絶対と言う言葉をもってして 言い表すことができるのか

全てが真実なのか
それとも全てが虚構なのか
今の僕には分からない

でも もしも
真実がもしもあるとしたならば
確かにあるのはこの命 そして魂
それにすがって生きていくしかない

そのささやかな真実を信じて 
そしてそれを誇りとして
自分の命を信じて
生きてみる

アメリカの欺瞞

2001年9月11日。もうすぐあれから5年も経つのかと思うと早いものだ。合計4機の飛行機がハイジャックされ、その内の2機はニューヨークのワールドトレードセンターに突っ込んだ。ニューヨークだけで2600人の人が亡くなり、合計で役3000人が命を落とした。

2005年8月末。アメリカ南部を巨大ハリケーンカトリーナが襲った。アメリカ市場最大の天災とも言われたこのハリケーン。7つの州にまたがって、2000人以上の人の命を奪った。アメリカ南部、特にミシシッピー州とルイジアナ州は壊滅的な打撃を受けた。アメリカ南部でもっとも美しい町のひとつとも言われていたニューオーリンズは廃墟と化した。

さて、この二つの事件。性質的に違う点が大分たくさんある。

1.前者はテロリズムであり、後者は自然災害である。
(これはいくらなんでも当たり前すぎたかな?)

2.前者は局地的に大きな被害をもたらし、局地的に多くの人命を奪った。ワールドトレードセンター内部またはその周辺にいた人間にとってはこの世の末の断末魔だっただろうが、数百メートル以上離れた地点にいた人には命の危険はもたらさなかった。
後者に関しては、非常に広範囲で多くの人命を奪った自然災害だった。万単位の人間が死を意識するような状況にまで追い込まれた。

3.ニューヨークで9月11日に命を落としはしなかったが被害にあった人々というのは、ワールドトレードセンターにあった職場を失い大変な目にあった。
ニューオリンズでは、多くの家屋が屋根まで浸水し、家とその中にあった全財産を失った人々が数多く出た。さらにその上に職を失った人というのも多くいた。なにしろ町自体がほとんど浸水してしまったのだから。

4.前者のすぐ後、アメリカ政府はすばやい対応をしたが、後者の場合はホ応が遅れに遅れて死者を増やしてしまった。政府の自然災害危機管理システムの杜撰(ずさん)な面をさらけ出してしまった。

以上4点、これは(少なくとも僕の中では)事実だと思う。
実は今までの4点はそこまで重要ではない。この4点は単なる事実関係であり、これから述べることへの布石だ。次にあげる5番目のポイントがこの記事の中で一番重要なポイントだ。

5.ニューヨークで被害にあった遺族・被害者は大半の人々が十分な補償(保険金、見舞金その他もろもろ)をきちんともらっている。
ニューオーリンズでは多くの人が、十分な保険金などを受け取ることが出来ていない。
正確な統計資料は手元にないのだけれど、二つを比べると違いは顕著だ。
 


この⑤は、つい最近になって明らかになったニュース。911の被害者に比べて、カトリーナの被害者は明らかに冷遇されている。

911の被害者に多額の援助金や補償を与えることは「われわれはテロには屈しない」というアメリカの態度を世界に、そしてテロ組織に向かってメッセージとして伝える、という意味で確かに重要な事だ。

しかし、やはりこの大きな差額はおかしいでしょう。③で述べたようにニューオリンズでは多くの人がすべてを失ったというのにその人たちに十分な補償を与えていないというのはあまりにおかしすぎる。しかも④で述べたように、政府は対応が遅れて死者を増やしたというのにその責任をとろうという態度はまったく見られない。

政府の対応が遅れたことによって被害が拡大。さらにはその後の十分な補償を受け取ることが出来ていない。よってニューオリンズでは人々は連邦政府(ようするにブッシュ政権)さらには州政府・地方政府に対しての不満がつのりにつのっているはずなのだ。というかそうあるべきなのだ。

なのに・・・・・

先日CNNを見ていたら、ニューオリンズ市民の普通のおっちゃんがブッシュと面会したというニュースをやっていた。面会の後、ブッシュ大統領とそのおっちゃんは記者団との面談に応じた。ブッシュと並んだそのおっちゃんは南部訛りの英語で記者団にまくし立てた。 「ブッシュ大統領は最高の大統領さ!カトリーナの被害にあった建物を建て直してくれて、さらに金銭面での多大なる援助もニューオリンズのためにしてくれたんだから!」 さらに「ブッシュはもう1期、あと4年大統領をやるべきすばらしい大統領さ!!」とまで言ってのけた。(アメリカの大統領の任期は2期、1期は4年。ブッシュは現在2期目。次の大統領選挙は2008年に行われる。)

このおっちゃんが何を思おうが、ブッシュを支持しようが、それはまったくかまわない。

しかし、ニューオリンズ市がきちんとした補償を受けることが出来ていないというニュースが一部で出てきたすぐ直後に、全国ネット(世界ネットとも言う)のCNNがニュースでこんなおっちゃんのコメントを出してしまうのだから。さらに、問題は州知事でも市長でもないこの普通のおっちゃんがニューオリンズ市民の代表のような顔をして大統領と面会してしまったこと。そこには、明らかにアメリカの欺瞞が見え隠れする。明らかに、十分な補償を与えていないという事実を隠そうとしている。ひょっとしたら、というかかなりの確率で、おのおっちゃんは金を掴まされていたんじゃないかとも勘ぐってしまう。

この大いなる欺瞞。どこの国に行ってもおかしなことはたくさんあるが、アメリカにおいては政府といくつかのニュースネットワークによるこの欺瞞な態度こそが大きな病根の一つと言っていいだろう。

一人の人間 一つの命

今日は突然趣向を変えます。
詩を作りました。

――――――――――

今日も誰かが死んだ
今日も誰かが生まれた
毎日いくつもの命が生まれ 毎日いくつもの命が失われる
命が生まれる喜びと 命が失われる悲しみ
毎日だれかは喜び 毎日だれかは悲しんでいる

雑踏の中で立ち止まる
流れゆく人並み
一人一人に感情があり この中の一人でも死ぬと誰かが悲しむ
流れゆく人並み
きっと誰かは嬉しくて きっと誰かは幸せで 
きっと誰かは悲しくて きっと誰かは絶望している

人の数だけの失望 人の数だけの希望 人の数だけの思いがある
重なる思い すれ違う思い みんながそれぞれの思いの元に生きている

一人一人の人間それぞれに それぞれの思い 
そして一人に与えられる魂は一つだけ 
どんな人間でも それでも一人の人間の魂は一つだけ
嬉しくても 悲しくても 幸せでも 不幸でも
ちっぽけでも 偉大でも 怠け者でも 努力家でも
デブでも やせっぽっちでも 大きくても 小さくても 
肌の色が何色でも 目の色が何色でも  
一人の人間は皆一人 

一人の人間に宿る一つの心
一人に宿る一つの魂
 
一つの心! そして一つの魂!!

すぐそばにいる人
すごく遠くにいる人
たくさんの幸福な人々 
たくさんの不幸な人々
殺人犯 聖職者
愛すべきもの 憎むべきもの

もはや それが悲しいのか嬉しいのかも分からない
それでも一人の人間にはいつも一つの命しかない
一人の人間はいつも一人

高校スポーツの意義

昨日の高校野球ネタについで、今日は高校におけるスポーツ(部活)の意義や意味などについて。

早実の斉藤君、本当に頑張った。だけど準々決勝、準決勝、そして決勝と決勝の再試合、全部で4連投・・・・。しかも4連投が始まる前々日にも3回戦で投げているので、6日間で5試合を投げた事になる。実にたった6日間で51イニングだ。普段やっている練習を考えたら、あれくらい投げるのも普通なのかも知れないけれど、あれはどう考えても酷使という奴だろう。彼の肩はおそらくあれが理由で壊れることはないと思うが、さすがにあまりに投げすぎであったことに間違いはないだろう。

アメリカで17歳、18歳の少年にあんだけ連投させたら保護者が出てきて監督が訴えられたりしそうだ。冗談抜きで。「うちの子供をつぶす気か!!」とか言いながら。実際、4連投というのはそれほどまでに非常識な事なのだ。
(個人的には、日本の高校野球で当たり前のようになっている4連投も極端だと思うし、すぐに親がコーチを訴えるようなアメリカも極端だと思う。)

日本の高校の部活動とアメリカの高校のいわゆるクラブ活動。何が違うのだろうか。出来るだけ公平な目で分析してみる。
(今から述べるのは一般論であって、もちろん全部がそうだと言うわけではありません。)

まずは日本。基本的に、ある程度まじめにやっている高校の部活と言うのは上下関係や練習内容などは結構厳しいところが多い。顧問の先生とかも非常に厳しかったりする事が多い。ちゃんとプレーしないとコーチ(顧問)に怒鳴り飛ばされたりするからと言うので、怯えながらプレーする選手も結構多い。ありえない程走らされ、上には絶対服従しなきゃいけないような世界。もちろん全部が全部そうではないけれど、高校の部活って結構そんな感じの所が多いのだ。練習の日程にしたって、オフなんシは存在しないような部活も結構多い。(僕は男子校でサッカー部にいたので、女子高の部活動の事とか女子の部活の事とかはイマイチ分からない。なので、ここで語っているのは基本的に男子がやる高校での部活の事です。)

かたや、アメリカの中学や高校におけるクラブ活動やスポーツ活動を見ていると大分ちがう印象を受ける。コーチ陣は檄を飛ばすことはあっても、鉄拳を振るうことなどは絶対にありえない。「グラウンドに立てば鬼」みたいなコーチってアメリカには少ない。また、英語には基本的に敬語というものは存在しないので、先輩やコーチにも「○○さん」「△△先生」などと呼ぶ必要もない。ものすごい量を走らされることはあっても、「しごき」や「罰」としての走りは基本的にはほとんどない。一年の間に、必ず数週間以上のオフは存在するし。コーチが鉄拳を振るうことなどがあろうものなら、かならず保護者が飛んできて大問題となる。また一人の生徒を集中的に怒鳴り飛ばしたりしたら、保護者が出てきてコーチは文句を言われたり。

日本的なやり方とアメリカ的なやり方、どっちがいいのかなんて言うのはまったく分からない。高校時代に日本のサッカー部に身をおいたものとしては、アメリカの中学生高校生のチームスポーツの練習などを見ると拍子抜けしてしまう。練習内容も日本の部活の練習より多少大らかな気はするけれど、何よりも選手の表情などが大らか。大らか過ぎるほど大らかなのだ。

日本の部活では「声出せよ!!」とか「気合入れてこうぜ!!」みたいな掛け声ばかりを皆で厳しい顔して常に掛け合ったりする場合が多い。僕の感覚からすれば、練習とかってそういう風に声掛け合ってやるものだと思っているのだが、やはり個人主義の国のアメリカは違う。アメリカの練習はお互いに向かって「気合入れろ」とかは言わずに、個人の裁量に気合入れるか入れないかは委ねられている。

こうしてみてみると、日本の高校の部活と言うのは、やはり集団生活を送ることが出来るような人間を育てるため、さらには精神鍛錬のためと言う目的も多分に含まれているのだろう。だからドラマ「スクールウォーズ」みたいな世界はあちこちで展開される。(皆さんはスクールウォーズご存知でしょうか?20年以上前のドラマです。)

僕は大いに自分で疑問と矛盾を感じる。

僕は日本社会にちゃんとフィットできるような下地を高校の時にしっかりと部活で築いたはずなのに、いまやもう日本の上下関係バリバリの世界にはついていけない。集団行動というものを厳しくやっていたはずなのに、今の僕はかなり個人主義。いったい何を学んだのかと思ってしまったりもする。

でも、高校の時にへたくそで体力も大してなかった僕が3年間部活を続ける事が出来たこと、そして80メートルくらいのダッシュを20本とか30本とかやらされても走ることが出来たこと。それはやっぱり自信になった。

どんな状況の中でも一生懸命やれば何か少しは得るものがあるという事かな。ある程度強い部活で一生懸命練習すると言う経験はしておいてよかったと思う。もしも自分に息子が出来て、日本で育てることになったら強制に近い勢いで部活やらせそうな気がするな。嫌と言われればしょうがないけど。
なにか話題がずれてきたな。

もうちょっと部活の意義などについて論じようかとも思ったんだけど、とりあえず今回は日本とアメリカにおけるクラブ活動の概観、でした。

高校野球決勝

夏の甲子園、早稲田実業対駒大苫小牧の決勝。昨日の15回の死闘の末、再試合となった今日の試合は接戦の末に早実が制した。

高校野球の決勝をじっくり見たのは何年ぶりだっただろう。昔の記憶をがんばってたぐり寄せる。ここ10年の間の高校野球で、はっきりと覚えていて印象に残っているのは8年前と10年前くらいだ。8年前の決勝も、10年前の決勝もすごく印象的だったけれど、昨日そして今日の二日にわたる今年の決勝はその二つと並ぶくらいすごく印象的だった。

8年前、横浜高校の松坂大輔の京都成章相手の決勝でノーヒットノーラン。準々決勝ではPL学園相手に17回、250球を一人で投げきる熱投を演じる。

pick_09.jpg


10年前、熊本工業対松山商業の決勝。
熊工先発園村、松山商業先発は新田。背番号10番のピッチャー同士の見ごたえのある投げ合い。試合は3対2で9回裏、熊工の攻撃。2アウトランナーなし。あと一人で松山商業の勝利。ここで、熊工一年生沢村のあまりにも劇的な同点ホームラン。うずくまるピッチャー新田。松山商業のファーストを守っていた今井はすかさず新田に駆け寄る。ドカベン今井と言われたこの今井という選手は、体は太かったがバットスイングが異様なほどに早く、彼の打った打球は常に高校生のものとは思えないようなものだった。真偽のほどは定かではないが、今井は新田に向かってこう言ったとされる。
「立てよ。まだ終わっちゃいねぇんだよ。」
立ち上がった新田は後続を抑え、試合は3対3の同点のまま延長戦へ。
10回裏、サヨナラのチャンスをつかんだ熊工。一死満塁からライトへの大飛球。誰もが犠牲フライで熊工のサヨナラ勝ちが決まったと思ったが、松商ライトの矢野が「奇跡のバックホーム」で三塁ランナーを刺してしまう。結局試合は11回表に3点を奪った松山商業が勝ち、見事優勝を飾った。

時は流れて、高校球児も僕よりも大分若い年齢になった。

今大会は、なんと言っても早実のエース、斉藤祐樹君の頑張りが素晴らしすぎた。15回の表、最後のバッターを相手に140キロ以上の直球をバンバン投げ込み、その次の日の再試合でも前日の疲れを感じさせない投球内容と球のスピード。楽天の野村監督も西武のコーチで早実のOBの荒木大輔も、早実の偉大なOBの王貞治も皆が絶賛したその投球内容。プロに早くから注目されている駒大苫小牧の田中将大君をも圧倒するほどの素晴らしさだった。決勝の再試合も含めて全部で7試合。なんと69イニングを投げぬき、さらに78奪三振を奪う力投。それを支えた後藤、船橋などの打撃陣の頑張りも素晴らしかった。

試合を見たのは決勝も含めて3試合程度で、主に試合結果はニュースなどでチェックする程度だったけれど、印象に残ったチームや選手は今大会結構たくさんいた。鹿児島工の代打の切り札、今吉晃一君の雄叫び、帝京のホームラン攻勢、日大山形の青木君のピッチング、日本最南端からやってきた沖縄代表、八重山商工の活躍。

野球の楽しさを久々に感じさせてくれるような大会だった。
高校球児の皆さん、暑い中本当にお疲れ様でした。
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