2006年05月

バトン バトン

mixiの方からバトンが回ってきました。ので、人生初バトン行ってみます。

★お名前は?
 さちほ

★おいくつですか?
 28歳

★ご職業は?
 えーと・・・・無職でございます。

★ご趣味は?
 ・スポーツ観戦(特にサッカーと野球。日本に帰ってきて何が嬉しいかってサッカーが沢山見れること。アメリカじゃサッカーってあまり放送しないからね。)
 ・ピアノ(初級レベル。もっと練習してうまくなりたいものだ。)
 ・語学学習(日本に帰ってきたけれど、英語とスペイン語はちゃんと続けていきたい。ポルトガル語もやりたい。あと、もう一つくらい、ちとマイナーな言語もやりたいなぁ。スワヒリ語とか。ケチュア語とか。あと、ウルドゥ語とか)

★好きな異性のタイプは?
 優しい人。そして穏やかな人。でも正直な話、うーん、よく分からないや。

★特技は?
 ・暗算(3ケタ×3ケタの暗算とかが出来る。割り算や足し算・引き算もかなり出来る。これだけは人に負けたことがない。今度暗算検定一級を受けてみようかと思ってます。就職には全然役に立たないだろうけれど。)
 ・数字の暗記(電話番号・誕生日なんかは一回聞いたら大体忘れない。)
 ・子供と遊ぶこと(かくれんぼとか鬼ごっことかドッジボールとかサッカーとか。でも、日本の子供とはあまり遊んだことがない。今度遊んで見たいと思う。)

★資格、何かもっていますか?
 資格と言う資格と言えば、日米両国で運転免許を持ってるくらいかな。マニュアルもちゃんと運転できます。

★何か悩みがありますか?
 今はあまり悩みはないけれど、強いて言えば仕事ないことかな。

★好きな食べ物と、嫌いな食べ物は?
 好き: 白いご飯
 嫌い: 嫌いな食べ物は基本的にありません。出て来たものなら何でも食べる。今まで生きてきて「どうしてもこれだけは食えない」と言うものは一つもありません。マジで。かなりグロい物でも結構平気で食べる。

それがいいのかどうか分からないけれど、虫歯になったことが生まれてこの方一度もありません。さらには視力もよくて眼鏡もコンタクトも必要ありません。

★貴方が愛する人への一言
 僕が心から愛している、僕のアメリカでの家族へ。
 I love you all.ハート

★回す人を5人指名すると同時に、その人の紹介を簡単にお願いします

4人しか思いつかないのですが、とりあえずお願いします。

 アヴォ太
  わが友アヴォ太。
 PINOKO
  尊敬すべき我が姉。
 Takayukeyman
  君は本当に「いい奴」だ。
 しんり
  父性本能をくすぐらせる。
 

英語の語源から学ぶ人生

アメリカから日本に帰って来た。アメリカでの7年間がこの先の僕の人生に何をもたらすかは分からない。達成できたことも出来なかったことも両方とも山ほどある。ただ、英語に関して言えば、読み書き、そして聞き話すことも相当レベルで出来るようになったと思う。達成できたことの内の一つには入るだろう。

今日は、その「英語」と哲学にまつわる話。タイトルの通り、英語の語源から学べる事なんかについて書いてみようかと思う。

哲学を学ぶ単語


responsible(形容詞:責任感のある)

この単語を語源から解析するとRespond(反応する)とAble(~が出来る)という言葉からなっている事が分かる。「7つの習慣」のSteven Covey氏は講演で、response-ableと何かに対して対応行動をとることのできること、と説明している。また、本当にResponsibleな人間と言うのはいわゆる「打てば響く」人間であることだと思う。自分に何かが投げかけられたときに、きちんと反応(対応)できる、ちゃんとした人間になりたいと切に思う。

understand (理解する)

昔、誰かが日本のテレビで言っていた事。Under(下に)Stand(立つ)。要するに、Understandする(理解する)という事は下から支えてあげるという事。これは言語学的に
本当にそういう語源から来ているかは定かではない。だけど、こじ付けだったとしても、いいことを言っているとは思う。人を理解するのは難しいけれど、支えてあげたいという誠意が理解につながるのかも知れない。
ちなみにSupportという単語もSup(下から)+Port(運ぶ)という意味で、似たような語源である。この二つの単語から学べる事は、人を理解してサポートしてあげたいと思うのであれば、決して上から押し付けるような態度を取ってはいけないという事だと思う。

optimist(楽観主義者)

これも言語学的に本当かどうかは分からない。ある人が本に書いていた事だ。Optimistという言葉はOption(選択肢)という語源から来ている。本当のOptimistは失敗したときにでも常に次のOptionを考える事が出来る人である、とその人は言っていた。Optimistというのは何でもかんでも「どうにかなる」と思っている人のことではなく人生の幅が広く、オプションが沢山ある人のことだ、というわけである。

なるほど、確かにオプションを何も持たずにただただ「どうにかなるだろう」と考えている人間は楽観的というよりもただのバカなのかもしれない。めっちゃ自分の事なんだけどさ・・・


仕事、職業に関する単語


vocation (仕事、職業)

このVocationという単語は、あまり口語で使われないけれど、仕事、職業と言う意味の単語だ。一応Job, Occupationなどと同じような意味で使われる単語である。ニュアンス的に正しく和訳するとなれば、「天職」という意味になろう。この単語のvocという部分には、語源的に「神に召された」という意味がある。昔の人は、職業と言うものを神に召されたものだと考えたのだろう。

jubilado(スペイン語の単語、「退職した」と言う意味)

この単語「フビラード」と発音するんだけど、英語で言うとRetiredという意味。ここで注目すべきはこの単語の語源、というか元の意味。この単語は元をたどれば「歓喜した」という意味である。英語で言えばjubilated 要するにスペイン人たちにとっては退職は「歓喜」そのものだったのかもしれない。
ジュビロ磐田というゴン中山の所属するJリーグのチーム。あのJubiloというのはポルトガル語で「歓喜」と言う意味だ。ちなみにスペイン語だと「フビロ」という発音になるんだけど。

(この2つの単語の話、オチはないんだけど、対照的で面白いと思ったので取り上げました。)

哲学とは全く関係ないけどちょっと豆知識

peninsula(半島)

これはぶっちゃげた話、ちょっと下ネタです。半島という意味のこの単語の語源はPenisである。要するに古代のラテン語では海を母なるもの(女性)とみなしたので、そこに向かって突き出る半島がPeninsulaとなったというわけだ。

history(歴史)

これは結構有名な話だけど、この言葉の語源は His story(彼のストーリー)。ごく一部のフェミニスト達が、「これは男性優位社会を象徴する単語である」とか言ってこの単語はHerstoryに変るべきだなどと極端な事を一時言っていたけれど、さすがにそれは極端すぎて、社会にはまったく受け入れられなかった。

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まぁこんな感じで言葉と言うのはどの言語でもそのルーツをたどると面白いことが色々と見えてきて面白いものだ。この言葉と言うものを生み出した人間と言う動物の知的偉大さに改めて感服してしまう。

明日は、mixiの方から回ってきたバトンやります。

もうちょっと利口に

小利口になんか生きたくないとずっと思ってきた。社会の潮流に何も考えずに従うようなそんな人間にはなりたくないと思ってきた。他人から、社会から押し付けられたような価値観で物事を判断したくない。

28年間、かなり一貫性のない、更には無責任な人生を送ってきてるけれど、この点だけは一貫してきたつもりだ。

小利口に、誰もが生きるようには生きたくない。そんな考え方をはじめたのは中学のときくらいだったろうか。

中学出て、高校入って卒業して、大学入って卒業して、そして就職。サラリーマンになる。満員電車に一時間半揺られて毎日通勤。30歳手前くらいでちょっといい女と結婚して子供を普通に二人作る。そんな計算ずくな人生を送って、たとえそれで幸せだったとしても、僕にいわせればちっとも面白くない。

周りから見れば、会社である程度昇進して、それなりの年収を稼いでいれば、「しっかりした人間」という事になるのだろう。それは全く否定する気がない。ただ、一番なりたくないのは、周りからの「しっかりしている」「ちゃんとしている」という評価だけで満足して、自分で自分の評価も出来ない人間だ。

40歳で、周りからはある程度評価されているけれど、もう女房には冷めてしまっている。大して好きでもないその女房のために、働いて飯食わせる。40過ぎた頃には、別れたいけれど、世間体もあるし子供のためにも離婚は出来ない。若い女に走る。周囲からのある程度の評価と言うところだけにふんぞり返り、進歩しようとしない人。周りからの評価を自分の価値の全てと考えてしまう人。(←政治家とかに特に多い)そんな人生は本当にゾッとする。絶対嫌だ。

中学の時、結婚の事なんか考えた事はなかったけれど、普通に大学出てサラリーマンになるという人生にはすでに疑問を感じていた。自分はもっと面白い人生を生きたい。誰にも出来ないくらいのエキサイティングな人生を送りたい。俺の人生はそうあるべきだ。そんなことを考えていた。

中学の時は別にヤンキーではなかったけれど、それなりに悪い事もした。部活(サッカー)は真面目にやっていたけれど、部活を引退した後は結構はじけた。万引きしたり、尾崎豊の「15の夜」にあこがれて原付盗んで乗り回したり。ゲーセン行って授業サボったり。授業中はいつも寝ていたし。先生にはろくでもない口をきくし。先生に向かって「うるせーばか!」とかほざいた事もあった。15歳のとき、まだ子供だったしそれが格好いいと思っている節もあった。(原付盗まれた人のことを考えるとさすがに忍びない・・・・。今更ながらすみませんでした。)

そんな中学3年生の時点で、自分は将来、大学にはおそらく行くのだろうとは思っていたけれど、何をしに大学に行くのかはよく分からなかった。そして果たして本当に大学に行きたいのかもよく分からなかった。だから、どこかの大学の付属の高校に入って、特に何も考えずにそのまま大学に進んでしまうのも嫌だった。18になった時に今一度自分の進路をちゃんと考え直したい。そう思って基本的に付属の高校は受けなかった。そっちの方が人生に張りが出ると思ったから。

だけど、先生方には大分嫌がられていたと思うし、内申点も非常に悪かったので、内申が重要な都立への進学は早々とあきらめて私立の高校を志望校にして、板橋区にある私立城北高校に進学した。

城北は、結構優秀な進学校だったけれど、大学に行くという目的意識があまりなかったので勉強はほとんどせずに、結果気づいたら21歳フリーター。その後留学。ここら辺はバイオグラフィー参照。

28歳になった今、満足できるような結果はまだ何一つ残しちゃいないけれど、ここまでは結構面白い人生を歩んできたと思う。変なところでこけたり、挫折したり、遠回りしたりしてばかりしてきている。ぶっちゃげた話、評価出来るところはかなり少ない。だけど、自分では以外とそんな自分の人生は気に入っている。これからも、社会の価値観に従うような生き方をしないで生きて行きたいと思うし、これからもそれを信じて貫いていきたい。

だけど、僕はもうちょっと利口にならないといけない。それは学問的に利口になるという意味じゃなくて、せめてもうちょっとうまく人生をスムーズに立ち回ることが出来る利口さを身に着けて行かないと行けない。「体制への反抗」と言えば格好よいけれど、一歩間違えばそれはただの馬鹿げた行動でしかなくなってしまう。これは覚えておかなければいけない事だと思う。

小利口な、計算ずくな人生なんてつまらない。その考え方は、これからもきっと変らない。だけど、せめてある程度安定した生活が出来るようになるためには、もうちょっと利口に生きていかないといけない。「郷に入っては郷に従え」という態度もある程度大事になってくるだろうし、人との「和」を重んじる事も大事だろう。日本に帰ったらそれを心がけてやって行こうと思う。

日本人

アメリカに7年間住んでいる間、4年間大学に通って、一年間浪人のような生活をして、大学院に2年間通った。大学院は結局途中でやめてしまったわけだけど。

この7年間色々なことがあって、色々な出会いがあった。

その7年間の間で僕は大分変ったと思う。日本人的な感覚は大分失った気がする。7年間の間で、日本人とはあまり沢山は付き合ってこなかったし、基本的に2年に一度くらいしか日本には帰っていない。日本的な礼儀作法も少し忘れてしまった感がある。日本という国を見る目も、ずっと日本にいる日本人の人たちと比べたら変ったと思う。僕自身は、7年前はほとんどまともに喋れなかった英語もしゃべれるようになったし、会話レベルのスペイン語も覚えた。

そして何より、日本でずっとがんばってきた友達とかとは完全に違う道を歩んできたので、彼らと同じような価値観を共有するのが難しくなった事は否定できないと思う。7年前、僕の一番の理解者だった人間はもはやそうではなくなってしまった。

別にそれを悲観しているわけではない。ただ、日本人の感覚を多少なりとも失ってしまった自分には日本に帰ってからクリアすべきハードルのようなものがいくつかあるような気がする。ハードルなんて言ったら大袈裟だけど。

そこで、とりあえずちゃんとした日本人になるために自分にメモを残そうと思う。

日本に帰って気をつけること

・まず、英語は忘れないようにしないとな・・・・。2回ほど日本に長期(2ヶ月くらい)で帰ったことがあるけれど、経験上、英語全然しゃべらない生活を2ヶ月していると、それだけで結構英語を忘れてしまう。2ヶ月間ボリビアにいたときも、スペイン語が上達した反面、英語を忘れてしまったし。日本で、英語を喋る機会を作るのはそんなに簡単じゃないかも知れないけれど、リスニングとかが衰えないために英語を聞く機会は多めに設けたほうがいいだろう。

・礼儀作法・敬語 敬語に関しては21歳まで日本にいたわけだし、高校時代に部活とかで礼儀作法をある程度習ったから心配はしていない。だから礼儀正しくしてる事にはそんなに自信がないわけじゃないけれど、余計な事を言ってしまわないように気をつけないといけないと思う。納得のいかないことを言われた時とかに、アメリカ流の自己主張はせずに、ある程度意識的に穏便に物事を済ませることも大事になってくるのかもしれない。自己主張はもちろん大事なんだけれど、ちょっと意識的に大人に振舞わないと、子供っぽいとか偉そうとかうるさい奴とか思われそうだから。

・「アメリカ帰り」という事を強調したりしないように気をつけたい。それをあまり表に出すと「何こいつ」と思われるだけなので、それは気をつけないといけないな。あと、英語出来ることとかを間違ってもひけらかすような態度は取らないようにしたい。

・アメリカでは電車の中とかでひょんなことから普通に会話が始まってしまうなんて事は日常茶飯事だし、僕はそういう文化が大好きだ。だけど日本では違うんだよね。電車で幼児を連れたお母さんに向かって「かわいいですね~」とか僕が言っても変な顔をされてしまうだけ。アメリカだと、サンキューの一言くらいは最低でも返ってくるものなんだが。僕は人見知りを全くしないし、知らない人とかにでも昔から話しかけたりしてしまう人だった。アメリカに行ってそれに拍車がかかった部分もあって、電車で隣に座った人や、ウェイターやウェイトレスやなんかとどうでもいいような四方山話をすることがしょっソゅうある。日本で、アメリカ的な感覚をもってそういう事をすると、うざがられそうだから気をつけます。


日本で付いて行けなそうなこと

・携帯  これが一番でしょう。やっぱり。こればっかりはもう本当についていけない・・・。っていうか正直な話、あまり付いて行きたいとも思わない。なんでみんなそんなにメールばっかりするの?「おはよう」とかそんなどうでも良いことで皆メールしあうというのは本当ですか?それが本当だとしたらなぜなんだ!!そしてなんで皆そんなに電車で携帯いじるの?パケットって何?もう僕は携帯で漢字が打ててしまうだけでビックリです・・・・。カタカナだけでいいじゃん!4年ほど前、カメラ付き携帯というものを日本で初めて見て感心する僕に友達が「撮ってあげようか?」と言って来たことがあったけど、「魂が吸われてしまいそうで怖いからいい」と言ったのは半分本気でした。本当に、携帯に関してはかなり浦島太郎な自信があります。

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・テレビ/芸能界   すぐ慣れるんだろうけれど、帰ったときはこりゃもうついていけないだろうなぁ。なんか、あいのりって番組結構人気らしいねぇ。一年くらい前にこの番組の存在を初めて知りました。それから、2年ほど前に日本に帰ったときに友達の家でテレビを見ていて、かわいい女の子が出ていたので、「この子可愛い!!これ誰?新人?」と友達に聞いたら「優香なんだけど・・・・。知らないの?そんだけ浦島だとは思わなかったよ」とビックリされてしまった。

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・コンビニ 日本に一時帰国する度に、コンビニに行くと何でもありすぎて思わず笑えてくる。コンビニで携帯の充電してる人がいるのは本当にビックリした。っていうかマジでいくらなんでも、何でもありすぎだ。

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・流行語/新語 最近はどんな流行語があるのかな?理解できないものが沢山ありそう。携帯で送る写真付きのメールは写メール。そこまではまだ許せるけど、「写メ」とか言われちゃうと何のことか分からない・・・・。そんなの 聞いてないよ~!!(ダチョウ倶楽部)おはようを「おっはー」とか言うのも未だに受け入れられない・・・・。
あけおめとかメリクリとか言うのはもうやめて、みんなもっとちゃんとした日本語喋ろうよ!!
だっちゅーの!(パイレーツ) 死語を使ってもっと攻めたいところだがすでに「寒い」と野次が飛んで来そうなのでやめます。

ちなみに先日アヴォ太と電話で喋っていて、「なるへそ」と僕が言ったら、「日本に帰ってそれ言ったらたぶん誰も分からないよ」と言われてしまった。

・インフラ こいつはすごすぎる。あれほど整ったインフラは世界にないんじゃないか。電車とかバスの椅子がフカフカなのもすごい。あれに座ると眠りたくもなるよなぁ。しかし、利用客としては電車が時刻表どおり来るのは至極便利でありがたいんだけれど、あれほど全てが時間通りに来ると逆にビックリもしてしまう。あれだけ正確に時間通りに電車を来させるというところあたりは、流石日本人だと思う。

・レディーファースト

日本人にはあまりレディーファーストという感覚がないらしい。日本で女の子とどっか出かけて、ドアを開けてあげたりすると、「さすがアメリカに住んでるだけあるね~」とか言われちゃうけれど、そんな事言われると、それだけで喜ばれる事に対して嬉しいのやらなんなのやら複雑な気分になってしまう。当然の行為だと思うんだけど、それが当然になっていない日本という国に対してちょっと複雑な気分だ。あまり日本を批判するのは好きでないけれど、女性のためにドアを開けてあげるなどと言うのは当然であるべき行為だと思うのだが。あと、それに付随して公共の場でドアを開けたときに後ろに人がいた場合、その後ろの人のためにドアを押さえておくという事。これも日本では当然の行為ではないらしい。日本でこれをやるとむしろ驚いたような顔をされることが多い。それから、それをやっても「ありがとう」を言わない人が多い。日本人はもうちょっと「ありがとう」をちゃんと言えるようにならないといけないんじゃないか。老人とかはちゃんと言ってくれるんだけどね。

・後、これは最近日本に住みだしたボリビア育ちの日系人の友達がブログに書いていた事。

日本人は決して目を合わせない。。そこがまたいいのだ。こっちが「じーっ」っと見てても、視線を感じてこっちを見るんだけど、”ぜったい”すぐに目をそらす。女性も男性も。 ボリビアではありえん話だ。ボリビアで目が合うとすぐ笑いかけたりするからね。文化のちがいを感じよ。。

これにはかなり共感を覚える。日本でコンビニの店員が「ありがとうございました!」って言うから、こっちが笑顔で「どうも~」なんていうと向こうが笑顔を返してくれる事は皆無に近い。逆にビックリしたような顔をされるだけだ。ま、それでも笑顔で通して行きたいと思うわけですが。


目標

とりあえず、浮いてしまわないようにしたいとは思う。性格上、結構変ってるらしいのでどこに行っても浮いてしまう事はしまうかも知れないけれど、それはまだいい。だけど、アメリカ帰りだから、という理由で浮いてしまう事はないほうがいいのだろう。「あの人はアメリカ帰りだからなにか違う。あの人とはなじめない。ここをアメリカとでも思ってるんじゃない?あの人むかつく。」とか皆から思われたら嫌だから、そういう意味では浮いてしまわないようにしたい。

かと言って、「どれも同じで色がない」などと言われてしまうような人間の一人には決してなりたくはない。自分の色は色で、大事にしていきたいと思っている。
その目指すべき自分の色とは「バカっぽいインテリ」だ。誰もにバカだと思われているけれど、実はかなりインテリ。そんな人間にちとなりたい。

出来ちゃった婚についての個人的見解

突然ですが、ちょっと出来ちゃった結婚と言うものについて思ったものを今日は書いてみようと思います。

結論から。あくまでも僕の個人的見解です。「出来ちゃったからといって無理に結婚する事もないのに」と僕はいつも思う。大好きな恋人とエッチをして妊娠してしまって、それをきっかけに結婚すると言うのはもちろんありだとは思う。しかし、まったく結婚なんぞ意識せずに付き合っていたカップルに赤ん坊が出来てしまったとして、カップルのどちらかが気持ちに無理をして結婚する、と言うのはどうも僕には解せない。一体なんのために結婚するのだろう、と思ってしまう。

何のための結婚か、と言うのは個人の価値観によって大きく違ってくると思うのでここでは語るつもりはない。

ただ、もしも出来ちゃった婚が子供の幸せのためだと言うのなら、それにはちょっと反論してみたいと思う。そもそ生まれてくる子供のために親がしてあげられることってなんだろう。子供の幸せってなんだろう?

子供の幸せって父、母の両親が両方ともいる事?その両親が法律上ちゃんと結婚している事?両親が同性愛者のカップルでなく、男(父)と女(母)である事?両親と自分の血がつながっている事?親が裕福な事?それとも親が心身共に健康な健常者である事?それとも親がアルコール依存症や薬物中毒などではないこと?

なんだかどれももっともらしく聞こえるけれど、どれもそれが幸せに直結するとは思えない。上記の条件に当てはまらなくても幸せな親子、幸せな家庭というの世界中にありふれている。(まぁ薬物中毒の場合とかは少し疑問だけど。)特に、特に父と母が両方いるかとか、その両親と血がつながっているかなんていうことは幸せと不幸せに関係のないことだと僕は思っている。ましてや法律上両親が結婚しているかしていないか、なんて事は書類上の問題に過ぎず、子供の幸せやなんかとはまったく関係のない話のはずだ。

上記の理由から、子供の幸せのために結婚する、と言うのは理由にならない気がしてしまう。誤解しないで欲しいのは、僕は出来ちゃった婚そのものを非難する気はまったくないし、順序が違うじゃないかなどと言うつもりもまったくないし、ましてや婚前交渉が不貞だなどと言うつもりももちろん毛頭ない。ただ、出来ちゃってそれを生むと決めたその後に、結婚するかしないかの自由がもっとあってもいい、と思うだけだ。出来ちゃって、それを生むと決めたのならば、その後にまず第一に考えるべき事は、結婚するのか否かではなくて、どうやってその子供を幸せに育てるかだ。結婚が必要か必要でないかはその後に考えるべき事だと思うのだ。(ちなみに中絶に関しては論点が全く違うところにあると思うのでここでは書きません。)

しかし・・・・

日本社会には僕のこの意見を跳ね返してしまう大きな壁がある。それはいわゆる「婚外子」への差別だ。婚外子というのは要するに、結婚という状態にない親から生まれた子、と言う事だ。法的には「非嫡出(ひちゃくしゅつ)子」と呼ばれる。

実は今日はこれがもっとも言いたかった。(左翼的な意見だと思われるかも知れないが一応僕は左翼ではありません。むしろ考え方的には右よりの人間です。首相の靖国参拝にも賛成だし。)日本の法律には婚外子に対する差別が明記されている。

・婚外子の相続分は婚内子の相続分の二分の一とするとの差別規定がある(民法900条第4項)

・出生届に親が自らの子に対し「嫡出子」または「嫡出でない子」の別を記載しなければならない(戸籍法49条)
(*拒否すると出生届が受け付けられないことが多い)

・戸籍の親との続柄で、婚内子は「長女」「二女」「長男」「二男」で表記されるのに、婚外子は「女」「男」だけだ(これに関しては改正が行なわれたようだが、依然として戸籍上における婚外子への差別は残っていると言う意見が根強い)


結局僕が反対している事は出来ちゃった婚そのものではなくて、日本のこういった類の法律、更には日本の婚外子への社会的差別だ。こういう法律が、日本の人々の婚姻の自由までも奪っている気がしてならない。

ちなみにアメリカでは婚姻関係にない父母から生まれた子は、婚姻関係から生まれた子と同一の権利を有する。

親がどんな選択をしようと、生まれてくる子供には何の責任もない。だからこそ全ての子供には同等の権利が与えれられるべきであり、日本の法律で定められている婚外子への差別は絶対におかしいと思う。

僕のアメリカ人の友達にはシングルマザーの女性とかが結構沢山いる。子供達とも結構仲良くしたりしている。その子供達は両親のいる家庭の子供に比べて不幸なのだろうか?少なくとも僕にはまったくそう見えない。あのかわいい子供達が日本に生まれていたら差別を受けていたのかと思うと、日本という国の婚外子への差別という事実が悲しく思えてきてしまう。こういう差別をなくしていくために、出来る事をしていきたいと思っている。

ちょっと解説

嫡出(ちゃくしゅつ)子・非嫡出子という言葉について

この嫡という漢字を調べてみた。それによるとこの漢字の意味は

①よつぎ。祖―父―子とまっすぐに血のつながりを受けた、あととりの子。
②正妻。 対語→妾
「嫡嫡(チャキチャキ)」とは、正統でまじりけのないこと。例「嫡嫡の江戸っ子」

と言う事は、だ。非嫡出子とは要するにまっすぐに血のつながりを受けていないという事なのだろう。更に、「正統でなくまじりけがある」という事になるのだろう。これをみてみると「非嫡出子」という言葉そのものが持つ差別概念を理解していただけるのではないかと思う。

もう一つ解説

国連が1989年に採択した「子どもの権利条約」では婚外子に対する差別を禁止しており、日本は1994年にこの条約を批准している。

ちょっとデータ

世界諸国における2004年度の婚外子の割合(単位はパーセント)

日本    1.93%
(参考 1980年は0.8パーセント)
アメリカ   34
スウェーデン 56
ノルウェー  50
デンマーク  45
フランス   44
イギリス   43
フィンランド 40
オランダ   31
ドイツ    26
スペイン  23
イタリア  11

日本での婚外子への差別をなくしていくために

個人レベルで出来る事って少ないと思う。でも、もしも僕がここで書いたことにこれを読んでいるあなたが賛同してくれたのであれば、婚外子への差別が存在する事に反対する意識を常に持って欲しいと思う。また、皆さんがこれから先何年も生きていく中で、婚外子というのを目の当たりにする事もあると思う。そういう方たちを決して差別せずに守ってあげて欲しいと思う。そうしていく事で、日本のこの差別はなくなっていくのではないか。

目を覚ませ!愛する故国日本よ!

最後にアルベール・カミュの言葉を引用して締めくくります。

「私は自分の祖国を愛している。しかし、祖国が自由と正義のもとにあるならば、もっと愛したい。」
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