今日は、体育の日なのでオリンピックなどについて。

皆さんの中で「オリンピック」の定義は何ですか?
「スポーツの祭典」
「平和の祭典」
「国威発揚のためのイベント」
などなどいろいろな意見がある事だと思う。

そして皆さんの中でのサッカーのワールドカップの定義とは何でしょう?
「オリンピックを上回る規模の大会」
「世界中が熱狂する大会」
などなど、これもまたいろんな意見があると思う。

オリンピックやワールドカップなどの見方や定義の仕方は人それぞれだろうけれど、我々の認識としてある程度共通しているものは、「オリンピックやワールドカップと言った大規模なイベントは、紛争などのない平和な地域で行われるもの」というアイディアがあるのではないでしょうか。

しかし、これらの大会が全く平和じゃない地域で開かれたという事だって、実は結構あるのだ。多少の政治的・経済的混乱のある国とかではない。それこそ内戦、暴動、抑圧、虐待などによって人がバッタバッタと死んでいっているその真っ只中でオリンピックが開かれたりした歴史が1960年以降にだってあるのだ。

さてここで問題。それはどこの国で開かれた大会でしょう?

答えは・・・

1968年 メキシコオリンピック
1978年 ワールドカップアルゼンチン大会


この二つだ。
では具体的にメキシコで、そしてアルゼンチンではどんな出来事があったのだろうか。今回はそのことについて。
長くなるので、今回はメキシコオリンピックに関して書いて、次回はワールドカップアルゼンチン大会について書きます。

(オリンピック史上最大の悲劇とも言われるあまりにも有名な1972年のミュンヘンオリンピック事件については、大会期間中に起こったテロであり、「元々平和でない国で開かれたオリンピック」という今回の記事の趣旨に合わないので、今回は割愛します。リンクと映画『ミュンヘン』などを参照されたい。)


まずは1968年メキシコ。

10月12日に開幕するメキシコ五輪に先立ち、10月2日にメキシコ市のトラテロルコ地区にある三文化広場(La Plaza de las Tres Culturas)で事件が起こる。アステカ時代に市場として栄えたこの場所での事件はあまりにも凄惨なものだった。いわゆるトラテロルコ事件だ。

簡単に言ってしまえば、ここで開かれていたきわめて平和的な学生集会を、軍が襲撃したのだ。当局の発表では犠牲者の数は30人未満だったが、本当は500人ほどが死んだのではないかと言われている。
(この事件につながるまでのメキシコの歴史などを語りだすとキリがないので今回はそれは割愛させていただくことにする。)

トラテロルコの夜という本に詳しい記述が書いてある。序文は、1990年にノーベル文学賞を受賞したオクタビオ・パス(Octavio Paz)によって書かれている。

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また、この本のバックカバーにあるオクタビオ・パスの言葉を引用する。

1968年の学生運動と、それを突如として終わらせた、政府による凄惨な弾圧――トラテロルコ事件――は、メキシコの人々を深く動揺させた。その結果生じた政治的、社会的、倫理的危機はいまだに解かれてはいない。(注:これは今から10年以上前に書かれた文章であることを付記しておく)

オクタビオ・パスの見解などは藤原書店のこのページに結構詳しく書かれている。

38年も前に起きたこの事件のことで今のメキシコ政府を非難するつもりなどまったくないし、IOCのオリンピック開催地の選考過程などにケチをつける気も全然ない。だけど、オリンピックの直前にこんな事件があったということは知っておいてもいい事実だと思うのだ。オリンピック開幕のたった10日前にこんな事件が起こっているのだ。自国民をバタバタ殺すような政府のもとでオリンピックが開かれたというこの事実は、日本ではあまり知られていない事だが、決して知っておいて損はないと思う。

「トラテロルコの夜」の中からいくつか印象的なものを引用してみる。

残忍、野卑、憎悪、ありとあらゆる悪意に満ちた行動に支配されてしまった、トラテロルコのあの夜。あのときの驚愕と憤怒を正しく記録にとどめておく必要がある。
フランシスコ・マルティネス=デラベガ「我々の国はどこへ向かうのか」
『エル・ディア』紙 1968年10月8日

オリンピックを開催できるようにと学生が殺されているのなら、オリンピックなど行われない方がましだ。どんなオリンピックも、歴代のオリンピックを合わせても、学生一人の命には値しないのだから。
イタリア人陸上競技選手(第19回オリンピック大会イタリア代表選手メンバー)『オバシネス』紙、1968年10月3日

何もかも丹精こめて準備がなされた。巨額のお金が使われた。どんな細部も手抜きされることはなかった。各競技の入場券にも趣味のよさが光っている。案内板、パンフレットやプログラム、ポスター、エスコート役のスーツや広告、果ては風船に至るまでのでデザイン。各協議の実施時間の厳密さ、絶妙の運営組織、だからこそ残念でならないんです。第19回オリンピックが血に染まっていることが無念でなりません。
ベアトリス・コジェ=コルクエラ
(グラフィック・アート専門家・図案デザイナー)

映像は人を欺けないと思います・・・・私はニュース報道も写真も見ました・・・・
オクタビオ・パス

みんな死骸ですぜ・・・・
『エル・ディア紙記者、ホセ=アントニオ・デルカンポに対する、ある兵士の呟き

1964年の東京の次に開かれたメキシコオリンピック。
日本では1968年のオリンピックと言えばサッカーでの銅メダル、マラソンの君原健二の銀メダル、加藤沢男などが体操ニッポンのちからを見せ付けた男子体操などが語り継がれている。

その大会の直前にあったトラテロルコ事件。単なるウンチクとしてではなく、我々が知っておくべき事件の一つなのではないかと思う。