今日(9月19日)の朝日新聞の3面記事から。(ページで言うと35項)
新宿ゴールデン街、迫る再開発 50階ビル構想も
リンクもつけたので、出来れば読んで欲しい。
簡単に言えば、戦後の混乱期のたたずまいをそのまま残しているような新宿のゴールデン街を再開発しようという構想が最近盛り上がっているという記事だ。
再開発推進派とゴールデン街擁護派と、共にさまざまな意見があるではあろう。僕は擁護派だ。
大都会の東京にあって、あれほど途上国のような雰囲気を残すことが出来ている場所は他に思い当たらないし、終戦直後の東京の歴史を垣間見ることができる数少ない場所だ。文化的に非常に価値があるように思える。 あそこでは、どうしようもない会話もたくさん交わされていると同時に、文学者や役者の卵が議論を戦わせる場でもある。あの飲み屋街こそ、古き良き日本の酒場を体現している。



文化庁はゴールデン街の文化的価値に関して何の言及もしていないようだ。文化をまもり人の心を豊かにすることが文化庁のコンセプトなようだが、結局人の心の豊かさなどはあまり考えていないように見受けられる。文化庁の目指すものは、「日本をどれだけきれいに見せかけることが出来るか」というところにある。だから、京都のお寺、古い壁画、または各地のお城などそんなことばかりが文化庁にとって重要であって、自然の美しさやローカルな文化などはいつもないがしろにされている。ましてや終戦直後の雰囲気を残すようなバラック酒場などは、残したいどころかつぶしてしまいたいのかも知れない。日本の文化庁にとって、日本人に歴史・文化を学ばせることよりも、日本を外に対してきれいに見せかけるほうが重要なのだ。
日本文化を守り歴史を学ぶためには、寺、神社、城などの歴史的建物ばかりが文化として重要なのではないという事を国民が認識するべきだ。そうすることでしか、文化庁の体質は改善できないのではないか。
文化庁批判はとりあえずおいておく。
一度壊してしまったらもう絶対に戻ることのないあゴールデン街のあの雰囲気・・・・。戦後直後から脈々と続くあの雰囲気。バブルの時代も地上げ屋のプレッシャーを巧みに交わして生き残ってきたゴールデン街。「再開発」という名の下にこの「歴史」を簡単に破壊してしまっていいのか。
都内とその近郊はどこもかしこも再開発・・・・・。再開発という名のもとに行われる自然と歴史の破壊行為・・・・。その影で、一体どれだけのエコロジストとノスタルジストが涙を流してきたのだろう。再開発というのが始まるとき、それをはじめようとするのはいつだって国か行政のような一般人には太刀打ちできないような組織、あるいは金をたくさん持っている巨大企業だ。そういった組織が再開発を始めようとしたとき、大多数である一般市民、または金のない人々はいつも涙を飲んで『歴史』そして『自然』がつぶれるのを指を咥えて見ているしかない・・・・そんな状況が戦後、東京の至るところで続いてきた。大手ゼネコン、地上げ屋、行政ばかりがホクホクとし、一般市民が涙を流すような社会が「よい社会」のはずがない。今こそ、その日本社会の体質を変えて行くべきだ。
1898年に発表された国木田独歩の「武蔵野」を、1953年(昭和28年)手塚治虫が「鉄腕アトム」の中で引用した。(厳密には手塚治虫は独歩の原文そのままではなく、少年漫画向けに少し簡単な文章に変えて書いた。以下太字は手塚治虫の文章。)
武蔵野を歩く人は道をえらんではいけない
ただその道をあてもなく歩くことで満足できる
その道はきみをみょうなところへみちびく……
もし人に道をたずねたら……
その人は大声で教えてくれるだろう おこってはならない
その道は谷のほうへおりていく
武蔵野にはいたるところ……
谷があり 山があり 林がある
頭の上で鳥がないていたらきみは幸福である
独歩が描いた武蔵野の風景が次々と失われていくなか、手塚治虫は危機感を持っていたのだろう。鉄腕アトムの中の短編『赤いネコ』で独歩の『武蔵野』を引用し、昭和20年代に誰よりも先駆けてエコロジーをテーマにした漫画を書いたのだった。
「武蔵野」を読んでみよう。鉄腕アトムの中の「赤いネコ」を読んでみよう。そこからきっと我々は自然と歴史の大切さを学べるはずだ。
新宿ゴールデン街、迫る再開発 50階ビル構想も
リンクもつけたので、出来れば読んで欲しい。
簡単に言えば、戦後の混乱期のたたずまいをそのまま残しているような新宿のゴールデン街を再開発しようという構想が最近盛り上がっているという記事だ。
再開発推進派とゴールデン街擁護派と、共にさまざまな意見があるではあろう。僕は擁護派だ。
大都会の東京にあって、あれほど途上国のような雰囲気を残すことが出来ている場所は他に思い当たらないし、終戦直後の東京の歴史を垣間見ることができる数少ない場所だ。文化的に非常に価値があるように思える。 あそこでは、どうしようもない会話もたくさん交わされていると同時に、文学者や役者の卵が議論を戦わせる場でもある。あの飲み屋街こそ、古き良き日本の酒場を体現している。



文化庁はゴールデン街の文化的価値に関して何の言及もしていないようだ。文化をまもり人の心を豊かにすることが文化庁のコンセプトなようだが、結局人の心の豊かさなどはあまり考えていないように見受けられる。文化庁の目指すものは、「日本をどれだけきれいに見せかけることが出来るか」というところにある。だから、京都のお寺、古い壁画、または各地のお城などそんなことばかりが文化庁にとって重要であって、自然の美しさやローカルな文化などはいつもないがしろにされている。ましてや終戦直後の雰囲気を残すようなバラック酒場などは、残したいどころかつぶしてしまいたいのかも知れない。日本の文化庁にとって、日本人に歴史・文化を学ばせることよりも、日本を外に対してきれいに見せかけるほうが重要なのだ。
日本文化を守り歴史を学ぶためには、寺、神社、城などの歴史的建物ばかりが文化として重要なのではないという事を国民が認識するべきだ。そうすることでしか、文化庁の体質は改善できないのではないか。
文化庁批判はとりあえずおいておく。
一度壊してしまったらもう絶対に戻ることのないあゴールデン街のあの雰囲気・・・・。戦後直後から脈々と続くあの雰囲気。バブルの時代も地上げ屋のプレッシャーを巧みに交わして生き残ってきたゴールデン街。「再開発」という名の下にこの「歴史」を簡単に破壊してしまっていいのか。
都内とその近郊はどこもかしこも再開発・・・・・。再開発という名のもとに行われる自然と歴史の破壊行為・・・・。その影で、一体どれだけのエコロジストとノスタルジストが涙を流してきたのだろう。再開発というのが始まるとき、それをはじめようとするのはいつだって国か行政のような一般人には太刀打ちできないような組織、あるいは金をたくさん持っている巨大企業だ。そういった組織が再開発を始めようとしたとき、大多数である一般市民、または金のない人々はいつも涙を飲んで『歴史』そして『自然』がつぶれるのを指を咥えて見ているしかない・・・・そんな状況が戦後、東京の至るところで続いてきた。大手ゼネコン、地上げ屋、行政ばかりがホクホクとし、一般市民が涙を流すような社会が「よい社会」のはずがない。今こそ、その日本社会の体質を変えて行くべきだ。
1898年に発表された国木田独歩の「武蔵野」を、1953年(昭和28年)手塚治虫が「鉄腕アトム」の中で引用した。(厳密には手塚治虫は独歩の原文そのままではなく、少年漫画向けに少し簡単な文章に変えて書いた。以下太字は手塚治虫の文章。)
武蔵野を歩く人は道をえらんではいけない
ただその道をあてもなく歩くことで満足できる
その道はきみをみょうなところへみちびく……
もし人に道をたずねたら……
その人は大声で教えてくれるだろう おこってはならない
その道は谷のほうへおりていく
武蔵野にはいたるところ……
谷があり 山があり 林がある
頭の上で鳥がないていたらきみは幸福である
独歩が描いた武蔵野の風景が次々と失われていくなか、手塚治虫は危機感を持っていたのだろう。鉄腕アトムの中の短編『赤いネコ』で独歩の『武蔵野』を引用し、昭和20年代に誰よりも先駆けてエコロジーをテーマにした漫画を書いたのだった。
「武蔵野」を読んでみよう。鉄腕アトムの中の「赤いネコ」を読んでみよう。そこからきっと我々は自然と歴史の大切さを学べるはずだ。