クリスマス

2ヶ月ぶりの更新になります。
特に更新していない理由は特にないんだけど、とりあえず最近全然更新していませんでした。クリスマスの今日の日を選んで久々に更新することにします。

さて今日は12月25日。クリスマスです。その12月25日は何の日かというと、イエス・キリストが生まれたとされる日です。この事実、皆知っているのかも知れないけれど結構忘れていると思うので一応書いておきます。
ちなみにイエス・キリストはヨルダン川西岸のパレスチナ自治区にあるベツレヘムで生まれたのだとキリスト教徒たちは信じています。それが理由でベツレヘムにはクリスマスに世界中から観光客が訪れます。

イエス・キリストが生まれたこの日に日本人がとる行動を客観的に見てみると大分不思議な感じがしてしまいます。

まぁブツブツ言ってもしょうがない。
とりあえず、皆さんMerry Christmas!!

なんとなく矛盾

最近更新頻度が落ちてきました。
10日ぶりの更新になります。

前からブログに書こうと思っていた事でもあるし、先日飲みの席でも僕が話題に上げたトピック。

先日ちょっと喫茶店に座っていた時、隣の席に二人の女性が座っていた。
「あの○○って人、挨拶もまともに出来なくてすごく嫌な感じ!!」
これって日本語でよく使われる表現だ。日本語では他にも「××高校の~~選手は挨拶もしっかり出来て素晴らしい。」みたいな表現もよく耳にする。

上記の挨拶に関する言葉は、すごくよく分かるし、挨拶が大事なのはもう否定のしようがない。

しかし、しかしだ。

日本人ってそもそもあまり他人に対する挨拶があまり好きじゃない。だから、近所や道端で見知らぬ人に微笑みかけることは全く重要じゃないし、日本ではむしろそんな事をするべきではない。

アメリカ人や南米人などから見ると、日本人はコミュニケーションが下手に思えるらしい。見知らぬ人との道端でのコミュニケーション、バスの運ちゃんとのおしゃべり、スーパーの店員との会話・・・・そういうものが日本には全くと言っていいほどないからだ。

そんな風に、挨拶をあまりしない民族なのに「挨拶」という話題がやたら取り上げられる事と、それが出来るか出来ないかというという理由から人を持ち上げたり否定したりしようとするのってなんだか矛盾だなぁと少し思った。

日本と違って西洋の人々は概して挨拶が好きだと思う。ハローとかの挨拶や、他人に対する微笑とかそういう類の挨拶って、西洋社会の方が圧倒的に多いのだ。

そんな風に、日本人よりも挨拶が好きな西洋の人々。しかしながら「彼はきちんと挨拶の出来る人間だ」なんて表現をアメリカ人が使うことなんて皆無だ。そんな事を誰かに言ったとしても、それを聞いたアメリカ人は「???」という反応しか出来ないと思う。

挨拶はあまりしないのに、挨拶のことをよく話題に上げる日本人。そして挨拶が好きで必要以上に他人に向かって挨拶をするのに、挨拶が出来るとか出来ないとかそういう話題に関してあまり喋らない西洋人。
これってちょっと不思議な矛盾だと思った。

思うに、日本における「挨拶」という言葉の意味は単に「礼儀正しさ」であると思う。誰にでも陽気に挨拶をする人間は、日本において「挨拶」のできる人間とは思われないのだ。

なんだかいろいろとぼやいていますが結論を言ってしまうと、礼儀正しい挨拶も笑顔を振りまくような挨拶も、両方出来るのが個人的に言ってしまえば理想だと思います。

1978アルゼンチン―Dirty Warと共に

1978年ワールドカップアルゼンチン大会

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写真 アルゼンチンの名物とも言える美しい紙吹雪がスタジアムで舞う・・・。改めて見ると本当にすごい紙吹雪だ。

写真を見ても分かるとおり、スタジアムの観客はまさに熱狂。そして大会は、開催国アルゼンチンの優勝で幕を閉じ、形の上では成功した大会となった。

しかしアルゼンチン優勝までの軌跡を見てみると、かなり怪しいものがたくさんある。この大会には16カ国が参加。4カ国ずつ4グループに分かれ、グループリーグ上位2チームの合計8チームが二次リーグに進出。
二次リーグで8チームをさらに2グループに分け、それぞれのグループの一位が決勝戦を戦い、二位のチームが3位決定戦を戦うというシステムだった。
(詳しい組み合わせなどはWikipediaのこのサイトを参照。)

二次リーグでブラジルとアルゼンチンは同じ組(グループ2)に入る。2試合終わった時点でブラジルとアルゼンチン両チームとも1勝1分。

そして迎えた3試合目。今だったら同時刻に開催される2試合だがこの時は、ブラジルの試合が終わった後にアルゼンチンの試合が組み込まれていた。アルゼンチンにとって重要な試合なだけにこういう組み合わせになった。

その二次リーグの3試合目、ブラジルはポーランドを3対1で一蹴する。その結果、アルゼンチンはペルー戦で4点差以上をつけて勝たないと決勝進出が出来ないという事になった。この時のペルーは結構いいチームだったのだが、アルゼンチンはそのペルーを6対0で一蹴。この時のペルー代表のGKのキロガという選手はアルゼンチン生まれだったりした事もあり、この結果に今でも怒っているブラジル人は結構いるらしい。この大会の頃のブラジルのスター選手だったリベリーノは、今でも怒っているらしい。
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1976年3月、アルゼンチンのペロン政権(当時の大統領はイザベル・ペロン大統領。有名なフアン・ドミンゴ・ペロン元大統領の3番目の夫人)は軍事政権のクーデターによって倒される。そして、ホルヘ・ラファエル・ビデラ将軍が軍事評議会議長(事実上の大統領)に就任。8月には正式に大統領へと就任する。

ビデラは1976年3月の就任演説において、産業評議会(CGE)、労働評議会(CGT)への軍の介入、そしてスト権の停止を布告。さらに革命的共産党,労働社会党など五つの極左政党を禁止した。そして同年7月、ついに左翼絶滅作戦の展開が始まる。ここからアルゼンチンのいわゆるDirty Warが始まる。アルゼンチン政府の弾圧の度合いは本当にひどいものだった。1976年から83年までの間に、アルゼンチン国内の死者・行方不明者は3万人を越えると言われている。3万人のうちのほとんどが1976年から79年の間に行方不明となっている。そして1978年にワールドカップが開催されている。

この頃のアルゼンチンは、内戦状態にあったわけではない。アルゼンチンで起こったことは内戦ではなく、国の政府による国家テロだ。自国の人間を何万人も連れ去り殺していたような国でワールドカップが開かれたのだ。

ヨーロッパなどから人権侵害国家として悪いイメージが定着しつつあったアルゼンチンにおいてワールドカップの成功はイメージ回復のためにも、軍事政権の至上命題だった。アルゼンチン政府はこの大会の成功のために全力を挙げた。結果、マリオ・ケンペスやオズワルド・アルディレスなどの活躍によりアルゼンチンが優勝。人権侵害の甚だしい政府のもとで開かれたこの大会は形の上で成功を収めた。

1978年のワールドカップが開かれたとき、左派勢力はこの大会を通じてアルゼンチン政府の愚行を世界に気付いてもらおうとした。しかし、そのアピール行動も風前の灯火。アルゼンチンの人権弾圧政権はこの後、さらに5年間続く事になる。

Night of the Pencils(Noche de los Lapices)という映画があって、この映画はこの時代のアルゼンチンを舞台として描かれている。この時代のアルゼンチン情勢を理解する上で非常にいい映画だと思う。

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1978年大会、決勝はアルゼンチン対オランダ。

ホスト国アルゼンチンが前回大会準優勝のオランダを迎え撃つという戦いになった。オランダは、クライフがビデラ軍事政権に対する抗議のため大会参加を拒否。(実のところは、1974年のワールドカップ決勝で敗れたクライフはもう二度と決勝での負けを味わいたくなかったらしいという説もある。)何はともあれ、このときのクライフは、女王陛下からの出場嘆願も振り切ったという有名な話まである。

大会前からアルゼンチンの軍事態勢に批判の意を表明していたオランダ。
決勝での対決に注目が集まった。

宿泊ホテルの電話が深夜まで鳴り止まないなどの、オランダに対しての嫌がらせによる妨害が行われたという説もある。さらに、アルゼンチン選手団はなんと決勝の開始予定時刻に堂々と遅刻をした。オランダの選手はフィールドの上で何十分と待ちぼうけを食った。

こんな妨害行為などにもめげずにオランダはアルゼンチンにくらいつく。ケンペスの先制ゴールを奪われるものの、終了間際にヘディングで同点に追いつく。延長で力尽きたものの、ホスト国相手に堂々わたりあった戦いだったといわれている。チャンスがあれば一度ビデオか何かでこの試合を見てみたいと思う。
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